長江三峡下りと沿岸都市周遊

(2001.6.1522)

 今回は中国の長江三峡クルーズと、三国志の旧跡を訪ねるべく、K社の8日間のツアーに参加しました。
 ご案内のように、中国では現在、新三峡ダムを建設中であり、2003年には、雄大壮観な三峡の景色も水没を余儀なくされるため、ここ12年がその峡谷美を鑑賞できる最後のチャンスというわけなのです。
 参加者が34名と、ちと多かったのが難点でしたが、みな旅慣れた人ばかりで、集合時間に遅れるような人は皆無で、まずは短期間ながら効率的に周遊でき、楽しく充実したツアーでした。

 周遊した都市は下図の通りで、上海から成都に飛び、バスで大足を経由、重慶まで行き、ここで三峡遊覧船に乗船し、豊都奉節などを下船観光しつつ、三峡(瞿塘峡、巫峡、西陵峡)の景観を楽しんだ後、宜昌からは再びバスで、荊州武漢と周り、最後に飛行機で上海に戻るというルートでした。

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 第1日目

 615日、成田空港を中国東方航空(MU-524便)14.16に飛び立ち、3時間弱の飛行後、1604(日本時間1704)上海虹橋国際空港に降り立ちました。
 中国は近くていいですね。この程度ならエコノミー症候群とは無縁でいられます。

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 上海着後、最初に訪れたのは、かつての租界地、外灘の黄浦公園。左の写真は、その公園から黄浦江越しに写したもので、高く聳えるのは上海の新名所「東方明珠テレビ塔」で、高さが468mもあり、アジア最大のテレビ塔だそうです。
 7日目に再びここを訪れ、夜景を鑑賞しました。そのときの写真がまた出てきますので、それと比べてみてください。
 (枠のある写真はクリックすれば拡大できますので、どうぞおためし下さい)

 この日はそれから付近の「茶香園」という店で小憩、お茶の試飲後、租界時代も中国人の居住区で、今は上海有数の商場として知られる豫園地区に行き夕食。食事後は腹こなしに付近を30分ほど散策し、20時半頃、東南路にあるホテル「由由大酒店」に着き宿泊しました。

 


 2日目

 この日の午前中は、国内便で三国志・蜀の都、成都に向かいました。約2時間半のフライトでした。国際線の成田〜上海間と大して変わりません。中国はやはり広いです。
 成都は2300年の歴史を持つ、蜀の都でもあった古都で、現在は四川盆地の中心都市となっています。

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 成都着後、四川料理の昼食をとり、まずは「三国志」に名高い蜀の英雄、諸葛孔明劉備玄徳を祀る武侯祠を訪ねました。本来、ここは劉備を祀る「漢昭列廟」に武侯(孔明の諡)を合体させ、君臣合廟としたものですが、諸葛孔明を慕う人が多く、いつしか「武侯祠」と呼ばれる習わしになったそうです。
 鬱蒼と柏の老木が茂り、幽玄な雰囲気の中に劉備と孔明の、各々雄壮な殿宇があり、それらの中に劉備像と孔明像が鎮座していました。(右写真は孔明像)
 三国志に興味のある方には垂涎の場所ですね。

 この日はこの後、唐代の詩聖、杜甫を記念するために建てられた杜甫草堂を訪れました。ここは安禄山の乱から逃れた杜甫が4年間、放浪の末に移り住み、数々の作品を残したところ。ひっそりとした竹林の中に質素なたたずまいを見せていました。  


 3日目

 朝7時半、バスで一路、大足に向かいました。途中1回のトイレ休憩を挟み、約3時間半の行程でした。大足着後、早めの昼食をとり、世界文化遺産に指定されている宝頂山を目指しました。

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 ここ宝頂山は、見事な石刻仏が点在する「摩崖仏の里」500mに及ぶ崖壁に15,000体の仏像が並び、まさに圧巻そのもの、世界文化遺産に登録されているのも当然と感じました。
 左の写真はその一部で、仏教説話に基づいています。どうぞ拡大して、その石刻技術の素晴らしさを実感してください。

 宝頂山見学後、約1時間半かけて中国南西部の経済・文化・交通の中心地、重慶市に入りました。ここは、かつて国民党が臨時政府を置き、第2次大戦終結の際、毛沢東蒋介石が会談を行ったところとして知られています。
 着後、起伏に富んだ市内で、ひときわ小高い丘の上にある鵞嶺公園の展望台から霧にかすむ街の眺めを一望し、さらには登小平毛沢東の命を受けて造ったといわれる人民大礼堂の外観を見学して、この日の観光を終わりました。
 ちなみにここ重慶市内は坂が多いため、自転車を使う人は殆どおらず、代わりに天秤棒を持った「運び屋」の姿が多く見られました。それに一年中、霧が街を覆っているとのこと、定めし「霧のロンドン」ならぬ「霧の重慶」といったところでしょうか。  


 4日目

 さあ、いよいよ本ツアーのハイライト、長江三峡下りの始まりです。午前8時、予定通り朝天門埠頭を出航しました。

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 我々が乗った船は、4ツ星、3千トン級の「昭君号」で、長さ75.5b、幅13.8b、客室数50室、定員102名と、河川専用の遊覧船としては大型といえましょう。
 右の写真が「昭君号」です。
 客室はツインで、1718uくらいだったでしょうか。当初は相部屋を覚悟していたところ、添乗員さんとガイド氏の努力で、ほぼ満室状態でしたが、追加料金を払って何とか個室を確保でき、おかげで快適なクルーズを楽しむことが出来ました。
 乗船後間もなく3階ホールにてウエルカム・ドリンクのサービスがあり、船長以下スタッフの紹介に続いて、船内生活および下船までのスケジュールに関し諸々の説明がありました。

 午後2時過ぎ、最初の寄港地豊都にて下船し、バスとロープウエイを乗り継いで、漢の時代に二人の道士が修行し、仙人になったという伝説をもつ名山に向かい、その頂きに建つ鬼城を観光しました。ここ鬼城は、魂を閻魔に裁かれるといわれる冥土の入口で、奇怪な伝説、数々の名所旧跡、宗教文物、祭りの風俗などにまつわる事物を見聞しました。こここそ閻魔大王の里ということになりましょうか。

 夕食後は、船内スタッフとの交歓会があり、ファッションショーやダンス、ゲームなどが行われました。  


 5日目

 三峡クルーズも2日目に入り、船内生活にも慣れてきました。早朝、甲板に出て、南岸の飛鳳山の麓にある張飛廟を見ました。ここは関羽の弔い合戦前日に殺された蜀の猛将張飛の首が葬られたと伝わるところですが、あっという間に通り過ぎ、どうってことはありませんでした。

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 さて、三峡の起点は奉節白帝城。朝の8時半、小船に乗り移って接岸し、頂上の城を目指して約1000段の階段を登りました。足の弱い人には有料で駕籠の便があり、大勢の駕籠かきが上半身裸で待機していました。約半数の人が利用したようです。もちろん私は徒歩組で、ゆっくりと20分かけて登りましたが、蒸し暑さには辟易しました。
 ただここから見下ろす長江の眺めは素晴らしく、時折頬をなでる涼風と相まって、疲れも吹き飛んだものです。
 白帝城は、三峡で最も名高い名所古跡で、前漢末期、公孫述がこの地に独立王国を築き、自ら白帝と名乗ったことから命名された由。
 左の写真をご覧下さい。どっしりとした堂々たる門構えでしょう。拡大すれば、「白帝廟」という文字が読みとれます。


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 白帝廟には、222年、呉への遠征に失敗し、天下統一の夢に破れ、この地で病死した劉備玄徳が祀られています。ちょうど日本では卑弥呼の時代でしょうか。

 右の写真は、三国志で有名な「劉備託孤」(劉備孤児を託す)の場面を塑像で紹介しているもので、中央の病床にあるのが劉備玄徳で、左側に立っている人物が孤児を託された諸葛孔明です。実に見事な彩色像群で、見応え十分でした。

 そのほか、ここには伝説の皇帝白帝(公孫述)の廟や孔明が星占いをした観星亭、杜甫が住んだという西閣などがあり、観光後、来た路を通って下山し、再び小船に乗って11時半ころ「昭君号」に戻りました。


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 昼食後は、専ら5階デッキの先端に座り、移りゆく沿岸の景色を眺めました。
  午後1220分頃、いよいよ最初の峡谷、瞿塘峡にさしかかりました。瞿塘峡は川幅は100mほどで、全長8kmと短いものの、三峡中最も峻険な表情に富み、その景観は伝説上の怪獣にたとえられているとか。

 1330分頃からは第2の峡谷、巫峡に入りました。巫峡は瞿塘峡に比べると、もの静かな印象で、森で覆われた山頂の連なる優美な、まさに山水画の世界で、これが41kmも続きました。
 左の写真、曇り空だったため、出来映えはいまいちですが、どうぞ拡大してその雰囲気を味わって下さい。


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 15時、各自の部屋に備え付けの救命胴衣を着てロビーに集合、小船に乗り移り、巴東の埠頭に上陸。ここから手こぎボートに分乗して支流をさかのぼり、神農渓の観光に出発しました。
 各ボートには13名づつ乗り、それに漕ぎ手5人、舵一人の船頭がつき、急流をさからって進むこと約1時間半。たくましい船頭の腕をもってしても、まさに汗のしたたり落ちる難儀の連続でした。
 景観は迫力満点、垂直に切り立った岩山が幾重にも迫りくる様は息を飲むほどに美しく圧巻そのものでした。
  誰かが、「猊鼻渓の中国版だね」と言いましたが、その規模から言ったら猊鼻渓の何十倍にも及び、むしろ猊鼻渓が「神農渓の日本版」と言うべきでしょう。 確かに似た感じがありました。

 右の写真、綺麗でしょう。幸いにもこのときは天気が良くなり、今回の旅行で最高によく撮れた写真です。どうぞ拡大してじっくりとご覧下さい。

 最後の峡谷、西陵峡に入ったのは1920分頃でした。三峡中最長の76kmの長さを誇り、大小の峰が延々と連なる峡谷です。雄大な景観の中に身を託し、しばし時の過ぎゆくのを忘れさせてくれました。ただ、時間的にちょうど夕暮れにさしかかり、写真を撮れなかったのは残念でした。
 20時過ぎには新三峡ダムの工事現場を通過後、22時過ぎには中国最大級のダムのひとつ、葛州覇ダムにて水のエレベーターで船の通過する様を観察し、本日の長い日程を終えました。  


 6日目

 朝食後、昨夜から停泊していた宜昌にて下船、昭君号に別れを告げ、バスに乗り換え、途中宜昌博物館に入場し見学後、長江北岸の港町、荊州に向かいました。

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 街のシンボル、荊州古城は、三国志ゆかりの蜀の武将、関羽が築いた難攻不落の城と伝えられています。
 現在のものは1640(清代)の再建ですが、高さ9m、幅10mの堂々たる城壁が東西に細長い楕円状に約10kmも張り巡らされています。
 現在は、城壁の外側は壕、内側にはホテルや民家などが建ち、また城壁沿いには、緑の生い茂る美しい市民公園もあり、人々の憩いの場所になっています。

 左の写真は、現存する楼閣のひとつで、重厚かつ優美な佇まいを見せています。

 古城観光後、湖北料理の昼食をとり、約3時間バスに揺られて、今夜の宿泊地武漢に着きました。  


 7日目

 午前中、武漢市内の観光へ。ここ武漢は、かつて「武漢三鎮」と呼ばれた武昌、漢陽、漢口3都市が1949年に統合されて出来た町で、人口約500万。今も3つの地区の特色はそのまま残され、各々独特の景観、見どころを有しています。
 まずは長江の東岸、武昌にある面積約33kmの湖、東湖を訪ねました。ここ東湖は、抗州の西湖と並び称される風光明媚な景勝地で、湖岸が曲折しているので、別名「九十九湾」とも呼ばれているところです。
 西岸には戦国時代の楚の憂国詩人、屈原を祀る行吟閣があり、彼の銅像とともに趣ある風情を醸し出していました。

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 次いで訪れたところは、300編もの漢詩で有名な江南3代名楼のひとつ、黄鶴楼(右写真)です。

 故人西のかた黄鶴楼を辞して 烟花三月揚州に下る 孤帆遠影碧空に尽き 唯見る長江の天際に流るるを

 上の詩は、唐の大詩人、李白が友人の孟浩然が東方へ旅立ちし、霞たなびき花咲きみちる揚州へ下っていく情景を詠ったもので、実際に最上階に上り、長江のゆったりと流れる様を眺めたとき、まさしく当時の様子が彷彿してきました。

 黄鶴楼は三国時代に創建されたものですが、戦火に遭い何度も立て直され、現姿は近年再建されたものだそうです。



 昼食(湖北料理)後、武昌の蛇山と漢陽の亀山を結ぶ全長1670m、長江に架けられた橋のなかでは最古の近代的な大橋、長江大橋を通って、武漢天河空港へ。
  ここで2日目の成都からずっと我々の面倒を見てくれたガイドの楊さんと別れ、国内便(MU-5324)にて上海に戻りました。

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 上海着(17.30)後、日の落ちる前にと、人民広場に向かいました。
 ここは周りに上海市役所、大劇院、博物館などの建ち並ぶ市民憩いの場所で、観光客に混じって、大勢の市民が黄昏時の散策を楽しんでいました。

 このあと南京路のレストランで最後の晩餐(上海料理)を楽しみました。

 さて、左の写真ですが、暗くてよく見えませんが、どこか見覚えありませんか。
 そう、ここは初日にも行った外灘の黄浦公園からの対岸の夜景なのです。拡大して見ていただくと、結構迫力ありますよ。
 


 8日目

 いよいよ帰国の日です。午前923分、MU-523便で上海虹橋国際空港を飛び立ち、1238(中国時間1138)、無事成田空港に着陸、コンパクトながら充実のツアーを終えました。

 

 以上が今回の旅行の概況ですが、このほか「旅行余聞」として別のページにまとめてありますので、下のボタンをクリックしてください。

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