13日目

(/10)

イスファハン滞在

 

朝食後、9時にホテルを出発、今日は終日イスファハン市内の観光である。

 

今日の最初の観光場所は四十柱宮殿

ここは正式にはチェヘル・ソトゥーン宮殿と呼ばれ、1647年にアッパース2世が建てた華麗な迎賓館である。

実際の柱の数は20本だが、正面の池に柱の像が映るため、40本に見えることから、この名で呼ばれている。

池は大理石で造られており、イランのシンボルであるライオンの口(下左)から水が流れ出る仕組みになっている。

宮殿内部は博物館になっていて、宴と戦いの様子を描いた見事なフレスコ画が展示されている。下中央写真はそのうちの1枚で、サファビー大王()がトルキスタンの王()のために宴を催しているところ。この絵は、左半分がイラン人画家の、右半分はヨーロッパ人画家の手になるものとか。

その他、著名な細密画師によるミニチュアや13世紀と現在の結婚契約書、ガラス製の涙壷(下右―兵士が出征中に妻が流した涙を溜めるもの)25年前の街のパネル写真などが展示されている。

 

次いで、世界遺産のイマーム広場へ。

この広場はまたの名を、ナグシェ・ジャハーン広場といい、これは「全世界の図」という意味とか。

アッパース1世は、政治・経済・信仰のすべてを集約した最高の広場を造ろうと計画し、1598年に着工以来、完成までに数十年も要したという。

周りに寺院や宮殿、バザール等を配した縦510m、横163mの巨大かつ華麗な広場で、ここに足を踏み入れた途端、目を見張るものがあった。

回廊で囲まれた広場では、かつては外国使節との会見や軍隊の観閲式、凱旋儀式、ポロ競技、果ては公開の処刑などが行われたほか、毎週露天市が立ったという。

ちなみに、池を挟んだ南北にはポロ競技のゴールの石柱が残っている。

かのヴィクトル・ユゴーが「世界で最も美しい広場」と称したというベルギーの首都ブリュッセルのグラン・プラスにも匹敵、否、それ以上だと私には思えた。

あえて言うならば、グラン・プラスが集約的な建築美を誇るのに対し、イマーム広場はバランスのとれた巨大な美術品ということになろうか。

 

広場を取り巻く建築群のうち、最初に訪ねたのは南側にあるマスジェデ・イマーム

イスラム革命以前は「王の寺院」呼ばれていた、まさにイランのイスラム芸術と寺院建築を極めた壮大な寺院で、まずは広場に面したエイヴァーン()の天井の鍾乳石飾り(下左)に圧倒される。完成に5年要したという。

ただし、このエイヴァーンは広場のための装飾的な門に過ぎず、この門をくぐり、短い回廊を抜けて中庭に出ると、45度斜め奥にメッカの方向を向いた本来のエイヴァーンがドーンと構えているのが実に印象的だった。(下中央)

奥には7色の彩色タイルで覆われたドームがあり、外部の美しさもさることながら、このドームは二重構造になっていて、内部の礼拝堂(下右)中央の床石を踏み鳴らすと、かなり小さな音でも建物全体にこだまする仕掛けにはみな感心することしきりであった。

 

次に訪れたところは、広場東側のマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー(下左)

ここもマスジェデ・イマームと並ぶサファヴィー朝建築の傑作といわれるが、王族だけが使用する寺院であるため、こじんまりとした造りで、中庭やメナーレがないことが特徴とのこと。

特筆すべきはその美しいモザイク模様で、ドームの外部、内部ともに絵柄が、描かれたタイルではなく、小さな採色タイルをモザイク上に並べることで様々な模様を象っている。(下中央)

特にドーム天井の模様は、見る角度により、華麗な孔雀の羽が浮かび上がって見え、実に感動的だった。(下右)

また、寺院全体が、ほぼ400年前当時のままなのにも驚嘆を覚えた。

 

午前中の最後に入ったところは、広場北側に広がるバザール。

このバザールは、昨日観光した金曜日のモスク辺りまで延々と続く、まさしくイスファハーン経済の中心だったところとか。殆どの部分はサファヴィー朝時代に造られたが、一部は8世紀頃からあり、イランでも指折りの歴史をもつという。薄暗い内部は迷路のように道が入り組んでいて、観光客向けの工芸品や絨毯などが所狭しと並べられ、熱気でムンムンしていた。

日程も最後に近づいたので、みな時計と睨めっこで買物に励んでいた。

 

中心街のレストランで昼食後、一旦ホテルに戻って、2時間ほど休息をとり、16時過ぎ、再び観光に出かける。

 

後半最初の観光場所は、ホテル近くのスィー・オ・セ橋 (33アーチ橋)

長さ309m、幅14mのこの橋はアッパース1世時代、1602年に完成されたもので、ペルシア語で「スィー・オ・セ」とは33を意味し、これは、橋上部のアーチが33あることからこの名がついたという。

ここは街の中心にありながら、車は駐車禁止となっており、市民の憩いの場所となっているようだ。

 

次いで、ザーヤンデ側の南側にあるアルメニア人居住区(ジョルファー地区)に向かい、13あるといわれるキリスト教会のひとつ、ベツレヘム教会を見学する。

ジョルファーというのは、現在ここに住むアルメニア人の祖先の故郷の名前とか。

なお、キリスト教自体は許容されているものの、イラン国内に住む以上、女性はチャドルの着用を義務付けられているとのことで、まだまだアルメニア人にとっては受難の時代といえよう。

当初の予定では博物館を併設しているヴァーンク教会に入る予定であったが、アルメニア正教の行事の関係でクローズされていたので、最古のベツレヘム教会へ移動する。

ここもクローズされていたが、ガイドの必死の頼みで、やっと入場を許可される。

17世紀初頭に建てられたというこの教会は、祭壇など素朴ながら厳粛な雰囲気を感じさせ、壁面には400年前に描かれた最後の晩餐を始め、キリスト教受難の絵などが飾られ、印象深いものがあった。

 

再びイマーム広場に戻って、広場西側のアリガプ宮殿(下左)に入ったときは既に18時になっていたが、サマータイム中なのでまだ明るい。

この宮殿は、1〜2階はアッパース1世時代に、バルコニーと3〜7階はアッパース2世時代に造られたイラン初の高層建築といわれ、バルコニーの屋根は18本の柱で支えられている。

「アリガプ」とは、ペルシア語で「壮大な門」という意味だそうで、確かにその堂々とした構えは他を圧するものがあり、かつて王はこのバルコニーからポロ見物を楽しんだそうである。

バルコニーでしばし広場の眺望(下中)を楽しんだ後、更に狭い階段を登って最上階まで行くと、そこは音楽堂になっていて、天井にはユニークで繊細な装飾が施されているのが目に付いた。(下右)

 

アリガプ宮殿観光後、雨が降ってきたので、近くのホテル内チャーイ・ハーネで30分ほどティータイムをとり、更に移動し、街なかのレストランで夕食後、21時過ぎ再々度イマーム広場に戻り、夜景見物をする。

右写真は、本日最初に訪れたマスジェデ・イマームで、ライトアップされた姿は幻想的で美しい。

もっと暖かければ、ゆっくり堪能できたであろう夜景も、この夜ばかりは、雨交じりで気温が下がって寒かったこと!そのため、15分ほどでホテルに引き上げざるを得なかったのは残念であった。

 

ホーム

プロローグへ

前ページ

次ページ

スタッフ