第4日目

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タブリーズ → マラゲー

 

今朝はややゆっくりの9時にホテルを出発。午前中はタブリーズ市内の観光である。

タブリーズは、アゼルバイジャン、トルコ、イランの各国に囲まれたイラン最北西部アゼルバイジャン州の中心都市で、イランで4番目の規模を持ち、標高1370m、古来より、ヨーロッパとアジアを結ぶ貿易路の宿場町として、発展してきたところ。

 

まずはアゼルバイジャン博物館に入場する。

ここにはアゼルバイジャン州の民俗学・考古学に関する資料が展示されており、紀元前からの出土品のほか、民族の習慣や風習や、革命後の写真や文献などが紹介されている。

以下、出土品の中から、下の写真で3点をご紹介したい。

左写真は、BC3000年頃の砂岩で造られたもので、その用途は諸説あるが、どうやら宗教上の儀式で使われたものらしい。拡大していただくと、動物のレリーフがはっきり見えますよ。

中央は、「リュトンの杯」と呼ばれる銀でできた酒器で、BC1000年頃のもの。なかなか凝った造りである。

右は、AD3世紀頃のササン朝時代の絵皿で、レリーフには戦いの様子がはっきりと表現されている。

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説明: 説明: b次に訪れたところはマスジェデ・キャプード寺院

青いタイル装飾の美しさからブルー・モスクと呼ばれ、ティームール朝時代(15世紀)の傑作といわれているもの。

残念ながら、幾度の地震により、損傷が大きく、現在では、入口の一部に彩色タイルの鮮やかな青だけがかつての壮麗さを偲ばせるのみであった。

 右写真がその入口であるが、ご覧のようにタイルが剥げ落ち、痛々しい姿をさらしている。

 

 

 次に、タブリーズを後に南に行くこと約50km、キャンドバン村に着く。 

説明: 説明: kandovan1 ここキャンドバン村は、サハンド山の山間にある村で、山肌に沿って奇岩が林立する様はまさにミニ・カッパドキア。

1万年以上の長い年月を経てできた石灰岩に人々が岩をくり抜いて住んだところとか。今では、多くの人が日干しレンガ造りの家(下左)に移り住んでいるが、未だに岩の中に住んでいる人もいて、その中を見せてくれるという。

生憎と雪が降り出し、寒く、道もぬかるんでいて歩きにくかったが、現地ガイドに付いてかなりの高さまで登っていき、中を見せてもらった。

中央写真が岩の家の外観で、窓があるのでお分かりになろう。右がその内部で、絨毯が敷き詰められている。

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キャンドバン村を後に山間の道を下り、麓まで来ると、もうそこは別世界であった。

今まで雪に降られて寒さで震えていたのが嘘のように、上天気で暖かく、人々は満開のの木の下で、花見を楽しんでいた。

イランではアルコールはご法度だが、静かな雰囲気の中、ささやかな楽しみを味わっているようであった。我々も一時下車して花見を楽しむ傍ら、身ぶり手ぶりを交えてのミニ国際交流に努めた次第。

中にはテントで数日過ごす人々(下中)や、赤ん坊を抱いた若い父親らの姿(下右)も見られた。そう言えば、今日は4月1日で、イラン・イスラム共和国記念日とのこと、明日は金曜日でイスラム教の休日に当たるので、連休の一日をここで家庭サービスしていたということか。

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さて、思わぬ花見ができた幸運を噛みしめつつ、途中、道沿いのケバブ専門レストランで遅い昼食を済ませ、一路、今夜の宿泊地マラゲーへと向かう。

 

幹線道路を30分ほど走ると右手遠方に湖が見えてきた。ウルミエ湖である。

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ウルミエ湖は、面積約6000ku、水深615mのイラン最大の塩湖とか。

ここは立ち寄る予定はなかったが、皆の希望で、ハンガという寒村を抜け、湖が一望できるところまで行ってもらい、写真ストップ。

この湖はペリカンやフラミンゴの飛来するオアシスとして知られているらしいが、今は時期はずれのためか、鳥の姿はまったく見えず、湖は静寂そのものであった。

 

この日は、1725分にマラゲー市内のホテルに到着、旅装を解いた後、ホテル内のレストランで夕食をとり、一日の日程を終えた。

 

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