8日目(1)

( 531)

 エルサレム滞在

 

本日は8日目。10日間とはいっても、帰国に2日要するので、観光は実質的に今日が最終日ということになる。

8時ちょうどにホテルを後にし、エルサレム市内のデイツアーに出発、まずはエルサレムの町を一望するため、旧市街の東に位置するオリーブ山へと向かう。

オリーブ山

オリーブ山は、山というより小高い丘といった感じで、頂上にはロシア正教の高い塔が聳えている説明: 説明: 説明: mtが、2000年前、イエスは復活後ここから昇天し、そしてまもなく世界を救うために、この同じ場所に再臨すると信じられており、西側斜面には、昇天を記念し、再臨を期待して多くの教会が建てられている。

展望台からは、ケデロンの谷を挟んで、城壁に囲まれた永遠説明: 説明: 説明: jerusalemの都の眩しいばかりの姿が一望でき、ひときわ輝く黄金のドームのある神殿区域を初め、イエス終焉の地といわれる聖墳墓教会など、3大宗教それぞれに重要な拠点となる建物が視界にひしめき合う光景はまさにここでしか見られないもので、王国や大帝国の興亡の歴史が偲ばれ、一層の感慨を覚えた。

 

説明: 説明: 説明: dung%20gateさて、オリーブ山を下り、糞門を通って城壁内へ入る。

ここはユダヤ人地区である。なぜ糞門と呼ぶのか定かではないが、その昔、この辺りにゴミ捨て場があったらしい。

この門は神殿の丘に行くのに最も便利なところにあり、アラビア語ではモロッコ門を意味するバーブ・アル・マガルと呼ぶらしいが、これは、この辺りが伝統的にモロッコからの移住者が多く住んでいたことに由来するとか。

なお、この門はヨルダン統治時代に広げられ、唯一大型車が通れるようになっている由。

 

嘆きの壁(後述)を右手に見て、イスラム教徒地区に入る。ここでは厳重な荷物検査があった。

まずはイスラムの聖地である神殿の丘に登る。丘に登ると言っても、数メートル高くなっているところを階段で上るだけだが-----

神殿の丘

ここ神殿の丘は、モリヤの丘、あるいは高貴なる聖域(イスラム教)説明: 説明: 説明: israel8-4とも呼ばれ、ユダヤ、キリスト、イスラムの世界3大一神教にとって極めて重要な地域で、ヘロデ大王が2千年前、神殿を建設した時に丘の頂上を削ったため平坦になっている。

現在の神殿域は、四方を低い城壁で囲まれ、イスラム教徒が管理する聖域となっており、それを象徴する建物として、岩のドーム(黄金のドーム)とアルアクサ・モスクがある。

排他的なイスラムの聖地だけに、構内には銃を携行したガードマンの姿がそこかしこに見られ、我々の行動を監視しているので、いやが上にも緊張感が漂っていた。

 

岩のドーム

神殿域のほぼ中央を占めるこの壮麗な建物は、ドームが黄金色をしていることから、黄金のドームとも呼ばれ、今日のエルサレムの象徴になっているとか。

なぜ、これを岩のドームと呼ぶのかというと、ドーム内中央に大きな岩(聖岩モリヤ)があり、その説明: 説明: 説明: israel8-5上から預言者ムハンマドが天使を従え天馬ブラクに乗って昇天したと信じられているからである。

一方、ユダヤ教徒にとっても、この岩こそ基礎石(世界の中心) であり、神殿の至聖所のあった場所であり、アブラハムがイサクを犠牲に捧げようとしたモリヤの山の頂なのである。

この建物は、ウマイヤ朝カリフのアブドゥルマリクが、691年にキリスト教の聖墳墓教会の光輝に説明: 説明: 説明: israel8-6匹敵するイスラムの聖所とする目的で建設したもので、その美しさは、三重同心円と正八角形を基調とする厳格なシンメトリーに加え、外壁に施された極めてシンプルなアラベスク模様、ターコイズブルーを主とした焼タイルから来ており、インドのタージ・マハルを彷彿させるものがある。

もとより、イスラム教徒以外は入場禁止で残念ながら内部には入れなかったが、現地で調達した写真()から聖岩を中心とした内部の豪華絢爛さをご想像いただきたい。

 

アルアクサ・モスク

ウマイヤ朝カリフのアルワリードが709715年に建てたエルサレム最大のモスクで、隣接する岩説明: 説明: 説明: israel8-7のドームとともに、メッカのカーバ神殿、メディナの預言者の廟に次ぐ、イスラム第三の聖域である。

なお、アルアクサの名は、預言者ムハンマドがメッカから神秘的な説明: 説明: 説明: israel8-8夜の旅をしてたどり着いた、コーラン第17章の遠隔の礼拝堂から来ているとのこと。

信者は礼拝前に必ず身を清めなければならない。まず両手首まで洗い、口をすすぎ、鼻を洗い清め、次に顔を、手は右左の順に肘まで、次いで小指と親指で輪を作り、残った3本の指で頭をぬぐい、最後に右左の順で足の裏まで洗浄するという徹底ぶりである。

 

ヴィア・ドロローサ

神殿の丘を北側に降りて、次に向かったのはヴィア・ドロローサ(悲しみの道)

ヴィア・ドロローサとは、旧市街北東にあるエッケホモ教会と北西の聖墳墓教会とを結説明: 説明: 説明: israel8-9ぶ約1kmの曲がりくねった小路で、イエスがピラト官邸のあったアントニアの要塞で死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の行われたゴルゴタの丘まで歩いたと信じられているルートである。

この道に沿って、イエスにまつわる出来事を記念した14のステーショ説明: 説明: 説明: israel8-10ンが設けられ、それぞれに教会あるいは修道院が建てられている。キリスト教徒にとっては必踏の最も聖なる道で、手作りの十字架を先頭に歩む巡礼者たちの姿が絶えないが、前半6つのステーションはイスラム地区にあるため、クリスチャン目当てに商店が軒を連ね、物売りの声がこだまする喧騒の道ともなっている。

聖墳墓教会に至るまでのヴィア・ドロローサの110ステーションの概要についてはここをクリツクして逐次ご覧いただきたい。

聖墳墓教会

さて、我々も2000年前のイエスの苦難に思いを馳せつつ、ヴィア・ドロローサを歩き、終着点である聖墳墓教会に到着した。

説明: 説明: 説明: israel8-11ヴィア・ドロローサの第1014ステーションのある聖墳墓教会は、イエスが十字架にかけられ、埋葬され、復活したとされるゴルゴタ(されこうべの意)の丘にある。丘といっても現在は平地化してしまっていて丘という感じはしないが、ここに最初の教会が建てられたのは、コンスタンティヌス帝の母ヘレナ皇后の巡礼後の335年のこととされている。その後、614年のペルシアによる破壊、その直後の再建、1009説明: 説明: 説明: israel8-12年のファーティマ朝カリフ・アルハキームによる徹底的破壊を経て、1149年に十字軍によって建てられたのが現在の教会とか。

内部は、宗教間の勢力争いを防止するためにオスマン帝国が制定した「現状維持法」が今も守られており、ローマカトリック、ギリシア、アルメニア、コプト、エチオピア、シリアの計6宗派が、それぞれの割り当てを管理している。同様の理由から、教会の鍵はイスラム教徒の2家族が世襲制で管理しているという。

多くの巡礼者や観光客に混じり、我々も第11ステーション以降を見学した。その概要についてはこちらをどうぞ

なお、聖墳墓教会内には、他に必見のものがある。それは塗油の石である。

その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出説明: 説明: 説明: israel8-13身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を100リトラばかり持ってきた。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。(ヨハネ伝より)

埋葬に先立って、イエスの身体に油が塗られた場所に使われたという塗油の石。1113ステーションから14ステーションに至る間に置かれている。そしてその背面の壁には、イエスが十字架から降ろされ、運び去られるまでの行程を描いた見事なフレスコ画(右から左へ)が掲げられている。

説明: 説明: 説明: israel8-16

説明: 説明: 説明: israel8-15

説明: 説明: 説明: israel8-14

 

( 続いて次ページをご覧ください )

 

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