マサダ

 

死海から西へ4kmの荒野に聳え立つ険しい岩山は、ユダヤ熱心党のエレアザル・ベンヤイール率いる篭城軍が、ローマとの戦いで集団自決した場所として知られている。AD70年のエルサレム陥落後も3年余持ち堪え、ユダヤ最後の砦となった。その戦いの様子は、歴史家ヨセフスの「ユダヤ戦記」に詳しく描かれており、1963年に始められた発掘調査もその記述をほぼ裏付けている。

マサダは南北580m、東西300m、周りの山とは切り離されたように孤立する天然の要塞であり、旧約聖書に出てくるダビデ王がサウル王から逃れて隠れた場所といわれる。

最初に要塞化したのはハルモン家の王イエホナターンで、その娘を妻としたヘロデ王が元の建物に増築し、華麗な冬の宮殿を建設したという。

ヘロデ王の死後、ローマに接収されたマサダは、しばらくローマ軍の駐屯地として使用されていたが、ユダヤの反乱により、AD66年からはユダヤ人が占拠した。

AD70年のエルサレム陥落を受け、ユダヤ教徒たちの離散(ディアスボラ)が続く中、信心深い一派である熱心党の信徒たちがここを占拠し、ローマ軍の包囲を豊富な水や食料で3年余り持ち堪えた。

業を煮やしたローマ軍は、司令官シルヴァの命令のもと、西側の標高差の少ない谷間を土砂で埋め、木造の塔を築いて門壁を打ち破るに至り、マサダの980人の住人たちは覚悟を決める。“奴隷となって死ぬより、自由のまま名誉ある死を選ぼうではないか”との悲痛な決意のもと、自殺を禁じられている信徒たちは辛い行為をしなければならなかった。まず、10名を陶片のくじ引きで決める。その10人を次に選ばれた者が殺し、更に次の10人が----という方法で、最後に残った者は自らの身体に火をつけ死んでいったという。

以後、第2次世界大戦後にイスラエルが建国されるまで、2000年近くにわたるユダヤ民族の流浪の歴史が始まった。

イスラエル軍の入隊式は必ずここで行われる。ダビデの星が描かれた国旗がはためく山頂で、片手に自動小銃、もう片方の手に聖書を握りしめ、「マサダの悲劇を繰り返すな」と誓うのである。