2日目(1)

(3月28日)


 
メキシコシティ

 8時半、ホテルを出発。午前中は市内観光である。

 独立記念塔、証券取引所、クロウテモク像、コロンブス像、小馬の像、ベニート・フアレス記念碑(アラメダ公園)、国立美術館、タイルの家とサン・フランシスコ教会、ソカロ(中央広場)、三文化広場、アステカ時代の遺跡、サン・ティアゴ教会、グァダルーペ寺院などをバスと徒歩で巡った。

以下、主なものをご紹介したい。


 左の写真は、観光の最初に訪れた独立記念塔である。

 緑に包まれたレフォルマ大通りの中ほどにあり、その優美な姿から、通称エル・ハンヘル(天使)の名で呼ばれているとか。

 1910年、当時のポリフィリオ・ディアス大統領が独立百周年を記念して建立したもので、塔の上には金色に輝く天使の像が立ち、下には独立の英雄たちの遺骨が安置されているとのこと。

 

 上写真の横長の建物は、中央広場(ソカロ)に
面して建つ国立宮殿である。
 植民地時代の統治者、つまりスペイン副王の
居城だったところで、現在は大統領の執務室と
大蔵省に使用されている由。

 アステカ時代には、当時の王の宮殿があった
ところで、いわば、ここがアステカ時代、植民地時代、および現代の政治の中心地ということ
である。

 入り口を入ると、まず正面階段の大壁画に驚かされる。
 これは、メキシコの誇る画家ディエゴ・リベラの描いた「メキシコの歴史」である。
 アステカ最後の王クアウテモック、伝説の王ケツァルコアトル、それにアステカ人の生活、スペイン人との戦い、植民地時代の搾取や虐待、ユートピアを築こうとした宣教師バスコ・デ・キロガ、それに独立の父イダルゴを初めとするメキシコ革命の英雄たち、更には現代から未来にかけてのメキシコが描かれている。

 

      左写真は三文化広場である。

右手に先住民族の文化である古代アステカの神殿跡、左手にスペイン植民地時代のサン・ティアゴ教会、そして左奥には現代メキシコを象徴する高層建築(外務省)と、3つの文化が見事に調和している。

   ここは196年の学生運動の弾圧、また1985年のメキシコ大地震の悲劇の舞台となった所としても記憶されている。

 

 左写真は、全アメリカのカトリック信者の守護聖人といわれるグァダルーペの聖母(褐色のマリア)を祀る本山、グァダルーペ寺院である。

 ここは、アステカ時代には土着宗教の霊場だったが、植民地時代の初めに、土地の住民が聖母マリアのお告げを聞いたという。その奇跡が認められ、ここに教会が建ったとか。

 我々が訪れたときも参詣人で賑わい、願をかけた人々が門から祭壇まで膝行して進む光景に感動を覚えた。

  この後、郊外のテオティワカンに向かい、当地で昼食、遺跡見学後、再び、メキシコシティにとって返し、夕方、国立人類学博物館を見学する。

 左写真の壮大な白亜の建物が国立人類学博物館である。
 1964年の建造で、入り口前には、168トンの新大陸最大の雨の神トラロックの石像がある。

 中に入ると、入り口ロビーの右手に「二元論」というテーマの壁画があり、羽毛のある蛇とジャガーが戦っている図で、アステカ族の宇宙観を表している。

 以下、展示作品のうち、3点をご紹介することにする。

 

 力士BC100〜AD200年の作。石像。高さ66cm。

 坊主頭にひげを生やし、腰にふんどしを巻いた男が、座ったまま身構えているところを見事に表現している。 

 巨石人頭像BC100〜200年の作。玄武石。高さ227cm。

 この種の人頭像が、支配者を表わしたものか、または球技の結果生贄に捧げられた選手を示したものか、2説ある由。

 チャク・モール600〜900年の作。石灰岩。高さ105cm。

 メキシコ中央高原のトルテカ時代の特徴的な作品。
 供物を神のもとに運ぶ使者と解釈されているらしい。

 

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