アンドラ公国

 

              I            プロローグ   
アンドラ Andorra ヨーロッパ南西部、フランスとスペインの国境をなすピレネー山脈中にある共和制の小国。正式国名はアンドラ公国。フランス大統領とスペインのウルヘル司教区司教が象徴的な共同元首をつとめる。面積は467.80km2。人口は64716(1998年推計)。首都は最大都市のアンドララベリャ(人口21984人、1993年推計)である。

              II         国土と資源  
エブロ川上流のひとつであるバリラ川の狭い峡谷を中心にして、周囲は標高2000m以上の山々にかこまれる。大理石を産し、牧草地ではヒツジの放牧がおこなわれる。豊かな森林では、マツとカバの林がみられる。鉄道も飛行場もないが、自動車道路はフランス〜スペイン間に整備されている。

              III       住民  
1997年の人口密度は、138/km2。アンドラ生まれの住民は全人口の約4分の1を占め、カタルニャ人の子孫で、カタルニャ語を話す。残りの住民のほとんどをスペインとフランスからの移民が占める。宗教はおもにカトリックで、公用語はカタルニャ語。スペイン語、フランス語も通用する。

              IV        経済  
かつて主産業は、牧畜、タバコと材木の生産だったが、1950年代以降、観光収入がのび、現在では経済の中心になっている。冬はスキーに、夏は冷涼な気候にひかれて多くの観光客があつまる。固有の通貨はもたず、フランスのフランとスペインのペセタが流通する。税率が低いため移民と投資が盛んである。

              V          政治  
715年間、アンドラはフランスの統治者とスペインのウルヘル司教の共同主権のもとにおかれてきた。普通選挙でえらばれた28名からなる総会議(任期4)に立法権があり、総会議から選出された評議委員会が行政権を、司法権はフランス大統領とウルヘル司教のそれぞれの代理人がもち、2人の元首には年貢がおさめられてきた。
199212月に、共同元首には象徴的な権利のみをのこし、主権を国民のものとする新憲法が総会議で可決され、933月、国民投票により承認された。同年54日、憲法が公布され、独立した立法府、行政府、司法府をもつアンドラが誕生、同年7月、国連に加盟した。

              VI        歴史  
伝承によると、カール大帝によって9世紀に自由国家と宣言された。1278年、カタルニャのウルヘル司教とフランスのフォア伯の共同統治下にはいった。フォア伯の領有権は、その後フランス国王やフランスの元首に代々継承された。フランスの元首とウルヘル司教に交互に年貢をおさめてきたが、近年は実質をともなわない年貢となっていた。1970年には女性に選挙権があたえられた。

 ( 以上「エンカルタ百科事典」より)