3日目(2)

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チェンライ滞在

 

昼食後、1340分、再びバスに乗り、北東に走ること35分、食後の睡魔に襲われかかったころ、説明: 説明: n着いたところはゴールデン・トライアングル。

ここは、メコン川とルアック川を境界線とし、タイ・ミャンマー・ラオスの3国が接していることからこの名があるが、かつてこの地域では、大量の麻薬が生産されていた悪名高い地帯であったとか。今では多くの観光客が訪れるようになり、リゾート地としての開発が進んでいるとのこと。

説明: 説明: n2つの川に挟まれて中洲のように見えるのがミャンマーで、メコン川の東側がラオス、そして我々の立っている、この西側がタイというわけである。

到着後すぐに「黄金三角」と日本語表示も見られる木製の門をくぐって船着場に下り、ボートに乗船してメコン川遊覧に繰り出す。

説明: 説明: nメコン川はさすが東南アジア最大の大河だけあって川幅もまさに国境にふさわしい長さである。我々が航行中は行き交う船は少なかったが、時おり中国の物資輸送船と思われる説明: 説明: n船舶の姿も見られた。

ボートはミャンマーの国境近くまで遡った後、反転し、下流に向かうこと約20分、ラオス領のドンザオ島に着岸した。

ボートが着いたとみるや、貧しい身なりの子供たちが大勢駆け寄ってきたが、ガイドは手馴れた様子で、あらかじめ用意しておいた駄菓子類を配り、退散させていた。そうしないことには群がられて進めないらしい。

ともかく上陸し、40分ほど思い思いに散策する。手作りの地酒や民芸品を売る店が立ち並んでいたが、どれも雨露を凌ぐだけの造りで、所在なげに我々を眺める子供たちの服装とともに、いやがうえにも貧しさを感じさ、やりきれない思いであった。

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1438分、ドンサオ島を後に再びボートに乗り、ゴールデン・トライアングルの船着場に戻る。帰路は迂回せず、まっすぐ戻ったので、ものの10分もかからなかった。

バスに乗って走ると、すぐ立派な門があるのが目に入った。

先ほどの船着場にあった門は古い木造の粗末なものであるが、こちらは新しい石造りの頑丈な門である。昨年建造したばかりというから、どうやら、ここが今後のゴールデン・トライアンクルの基点として、観光の目玉になるようだ。

そこには、民族衣装を身につけた可愛い女の子が二人、両親に連れられて来ていた(衣装売り込みのためのモデル?)ので、写真を撮らせてもらった。無邪気な笑顔が魅力的だった。

説明: 説明: n.thai3-2-8

説明: 説明: n.thai3-2-9

 

1605分、ゴールデン・トライアングルを後にチェンライへの帰途に着いたが、途中、チェン・セーンの町はずれで途中下車。

説明: 説明: nチェン・セーンは、現在、ラオス・ミャンマーなどとの交易の玄関口として注目を集めているが、もともとはタイ族最初の王朝として栄えた北部文化発祥の地であるとか。チェン・セーンのセーンは10万という意味だそうで、発祥当初に10万の人口があったことになろうか。

ワット・ジャディーロナグというチェン・セーン最説明: 説明: n古の寺院に立ち寄ったが、パゴダ(仏塔)が苔むしており、いかにも時代を感じさせるものであった。

境内には見事な菩提樹の大木があったが、これは樹齢250年とか。

それにしても、とても静かな落ち着いた佇まいの寺院であった。

 

1635分、再びバスに乗り、途中1度のガソリンスタンドでのトイレ休憩を挟み、ホテルへの帰路を目指す。

実は朝方から感じていた右足首から下の痛風の痛みが段々とひどくなり、もうこの頃はびっこを引きつつ痛みをこらえ歩くのがやっとという状態になっていたので、早くホテルに着いてほしかった。

説明: 説明: n然るに、あと少しでホテルという段になって、「タラー・バンマイ」というマーケットに差し掛かると、「ホテルはすぐ近くだから、ここに寄っていきましょう」ということになってしまった。

皆に続いて、やつとの思いで、バスを降りることは降りたが、もう痛みは最高潮に達しており、とてもマーケット内まで歩いていける状態ではなく、ただ、写真のみ撮って、早々にバスに引き上げた次第。

それにしても皆さん、買物が好きですなぁ。

 

18時ちょうどにホテルに帰着、夕食はホテル内でと思いきや、1時間後に別のホテルへ行くという。

やれやれ、ここのホテルは高級過ぎて、ツアーの予算内ではまかない切れないためだろうか。そう言えば、昨夜もこのホテルではとらず、街なかのレストランへ出かけたっけ。いずれにせよ、足が不自由な身にはかったるいことである。

そのホテルは車で10分あまり行ったところのコック川中洲にある、チェンライ・アイランド・ホテル説明: 説明: nであった。

食事は、このホテルのレストラン棟で2組に分かれてそれぞれ丸テーブルを囲んでのタイ料理であったが、この頃には互いに打ち解けた仲になっており、かつ同年代の気安さもあって、戦時中の話から現代の世相について議論風発し、考え方の違いをまざまざと認識させられた一夜となった。

なお、この場には男性一人はお腹をこわして不参加、足が痛いほうがまだいいか。

 

2030分、ホテルに再帰着、本日の日程を終えたが、足の痛みで難儀した一日であった。

(本日の歩数 14617歩)

 

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