ニュージーランドの概況

 

              I            プロローグ   
ニュージーランド New Zealand 南太平洋西部、タスマン海をへだててオーストラリアの南東に位置する立憲君主国。正式国名はニュージーランド、先住民マオリの言葉では「アオテアロア」という。イギリス連邦に加盟する。大きな2つの島、北島と南島、および南島の南にうかぶスチュアート島などの小島群からなる。ほかに東方のチャタム諸島、北東のケルマデック諸島、ポリネシアにあるニウエ島、トケラウ諸島、クック諸島、南極のロス島もニュージーランド領である。面積は27534km2。人口は3625388(1998年推計)。首都はウェリントンで最大の都市はオークランド。

 
             
II         国土と資源  
広い平野部もみられるが、全体に山がちである。国土の3分の2は標高2001000mで、2200mをこえる山は200以上にのぼる。
北島の海岸線は複雑で、とくに北端はいりくんでいる。オークランド付近では、半島の幅がわずか10kmほどしかない。東部に主要な山並みがつらなり、中央部の火山地帯には3つの活火山、北島の最高峰ルアペフ山(2797m)、ナウルホエ山(2291m)、トンガリロ山(1968m)がそびえる。死火山のタラナキ山(エグモント山。2518m)は西端にある。北島には多くの川がながれており、そのほとんどが東部と中央部の山々を水源とする。ニュージーランド最長の川であるワイカト川(435km)は、中央部にある同国最大の湖タウポ湖(606km2)から発し、西海岸からタスマン海にそそぐ。タウポ湖周辺には数多くの温泉がわきでている。


南島の海岸線は北島よりも単調だが、南西部にはフィヨルドが発達している。南西から北東にかけてサザンアルプス山脈がつらぬく。サザンアルプス山脈には高峰が多く、標高3050mをこえる山は17をかぞえ、中央部に氷河におおわれた同国最高峰のクック山(3754m)がそびえる。ほとんどの川はサザンアルプス山脈を源とする。南島で最長のクルーサ川(338km)は、ハーウィーア湖(124km2)とワナカ湖(194km2)から流出した2本の川が合流したもので、太平洋にそそぐ。南島最大の湖はテアナウ湖(342km2)で、サザンアルプス山脈の南に位置する。東部のカンタベリー平野と南端のサウスランド平野は、南島の数少ない低地である。

              1          気候と地質  
ほぼ全島が西岸海洋性気候に属する。気候は全般に穏やかで、気温の年較差は小さい。北島のオークランド半島北端はもっとも温暖で、サザンアルプス山脈の南西斜面は冷涼な気候となる。1年を通じて降雨があり、南島中南部の狭い地域をのぞいて年降水量は500mm以上である。南島の南西部にあるミルフォードサウンド周辺では年降水量は5600mmもあり、もっとも雨の多い地域となっている。


第三紀後半に形成された島々の地層には、堆積(たいせき)岩の中に古生代初期のものもみられる。地形は褶曲(しゅうきょく)や大きな断層によってつくられ、火山活動も島々の形成にかかわりをもつ。とくに北島では現在でも火山活動がつづき、間欠泉や温泉がわきでている。火山地帯では地震が頻発している。

              2          植生  
植生は豊かで、2000種もの植物が自生する。そのうちの1500種はニュージーランドの固有種で、ゴールデン・コーファイやスカーレット・ポフートゥカーワが知られる。北島の北部にはマングローブなど亜熱帯性植物がみられる。ブッシュとよばれる森林には常緑樹が多く、地表にはコケやシダ類が密生している。カウリマツやリームーなどの針葉樹は木材としての価値が高い。


ニュージーランド固有の草が一面に生えている場所は、北島では中央火山平原だけである。南島東部は標高1525m辺りまで草地となっており、西部はほとんどが森林である。その森林は主として固有種のブナからなり、標高が高くなるにつれて高山植物へとかわる。

              3          動物  
ニュージーランド固有の哺乳類は、2種のコウモリだけである。19世紀初期にはじめて白人が入植したときには、その約500年前から居住していたマオリによって、すでに犬とクマネズミがもちこまれていた。現在みられる野生の哺乳類は、ヨーロッパ人がつれてきたシカ、ウサギ、イタチ、フクロネズミなどが野生化したものである。また、ヘビはまったく生息しておらず、昆虫もわずかな種類しかいない。3つ目の眼の痕跡がのこる爬虫(はちゅう)類のムカシトカゲは、先史時代からの生き残りと考えられる。


ニュージーランドには、23の固有種をふくめて250種以上の鳥類が生息している。固有種の中には、スズドリやトゥイなどの鳴き鳥、キーウィ、カカポ、タカヘ、ウェカ(クイナの仲間)といった翼が退化したとべない鳥がいる。とべない鳥が生存できるのは、それらの鳥を捕食する動物がいないためである。スズメやツグミなどは外来種である。そのほか多種の海鳥が生息し、数多くの渡り鳥が飛来する。

川や湖には、ホワイトベイト、ヤツメウナギなどのニュージーランド固有種の魚類、イセエビなどの甲殻類が数多くみられる。マスとサケは海外からもちこまれたものである。近海にはタイやカレイ、クジラなども生息し、カキ、マッセルなど食用となる貝類もとれる。

              4          天然資源  
土地はニュージーランドの経済をささえるもっとも重要な資源で、穀物栽培、酪農、ヒツジや肉牛の飼育には最適である。森林資源も重要である。

鉱物資源では、石炭、金、石灰、マグネサイトなどの多くの鉱床が北島にも南島にもみられる。北島と南西海岸の沖合には大規模な天然ガス田がある。ウランとトリウムをふくんだ漂石がみつかっていることから、それらの鉱床が国内に存在すると考えられている。

              III       住民  
1991年の調査によると、人口の73%はイギリス人を主とするヨーロッパ系で、12%(約41万人)はマオリ、4%はポリネシア系である。そのほか少数のアジア系の人々がすむ。マオリは、14世紀ごろにポリネシアから移住したニュージーランドの先住民である。

              1          人口と主要都市  
人口は3625388(1998年推計)で、人口密度は13/km2。人口の4分の3、またマオリの95%以上が北島に居住する。また、人口の約84%が都市部にすんでいる。
行政上、15の地域と3つの単一区にわかれている。首都ウェリントンは国のほぼ中央、北島の南端に位置する内航航路の中心都市で、都市圏人口は335468(1996)である。最大都市のオークランドは港湾都市で商工業の中心地であり、都市圏人口は997940(1996)。その他の主要都市として、小麦や穀物の集積地クライストチャーチ(人口331443(1996))、酪農の中心地ハミルトン(159234(1996))、羊毛の集積地で観光拠点でもあるダニーディン(112279(1996))があげられる。

              2          宗教と言語  キリスト教が多数を占め、主要な宗派は英国国教会(22%)、長老派教会(16%)、ローマ・カトリック教会(15%)など。ほとんどのマオリは、キリスト教の一派であるラタナ教やリンガトゥ教に属している。ヒンドゥー教徒や仏教徒もわずかだがみられる。全人口の約21%は信仰する宗教をもたない。

公用語は英語とマオリ語。英語が広く普及しており、ほとんどのマオリが英語を話す。しかし、マオリ語を自在に話せるのは、わずか5万人(12%)程度だといわれている。

              IV        教育と文化            1        教育  19歳まで教育は無料で、615歳までが義務教育だが、5歳で小学校に入学し、19歳まで学校教育をうけるのが一般的である。

高等教育機関には、オークランド大学(1882年創立)、ワイカト大学(1964年。ハミルトン)、ビクトリア大学(1899年。ウェリントン)、マッセイ大学(1926年。パーマーストンノース)、カンタベリー大学(1873年。クライストチャーチ)、オタゴ大学(1869年。ダニーディン)、リンカン大学(1990年。クライストチャーチ近郊)の7つの国立大学がある。7大学の総学生数は、1997年で106486人である。

              2          生活  ニュージーランドではスポーツに対する関心が高い。冬のスポーツはラグビー、サッカー、スキー、夏のスポーツではクリケット、ヨット、トランピング(ハイキング)などが人気がある。

多くの人々は都市にすんでいるが、ニュージーランドの農村や田園風景の美しさは世界的に知られている。人々はレクリエーションの場としての野外をこのみ、山や川、湖、森などの自然にしたしんでいる。

ニュージーランド人は健康的な生活習慣に誇りをもっているが、日光浴のし過ぎ、脂肪分の多い肉類や飲料の取り過ぎは、世界でもっとも高い癌の発生率となってあらわれた。とくに皮膚癌と腸癌が顕著である。近年は、日光浴や食生活の節制の必要性が認識されてきている。

              3          文化  
ニュージーランドにおける最初期の文化は先住民マオリによるもので、彼らは固有の美術や文学を伝承してきた。その後、イギリス人をはじめとするヨーロッパ人により、世界を制覇してきたヨーロッパの伝統的文化がもちこまれた。1950年代からはポリネシア人を中心とする太平洋諸島の人々が、80年代半ばからはアジアからの移民が増加し、ニュージーランドに民族の多様化をもたらし、それは文化にも反映されている。

マオリは口伝による伝説や冒険物語などを豊富にもっている。また家やカヌー、パとよばれる砦(とりで)の入り口をかざる緻密な彫り物を文化として継承してきた。

マオリ独自の信仰と慣習は、現代ニュージーランドの文学、美術、音楽、映画に大きな影響をあたえている。ジェーン・カンピオンが製作し、アカデミー賞を受賞した映画「ピアノ・レッスン」(1993)は、入植初期におけるヨーロッパ人とマオリの関係を題材にしたものである。マオリの作家ブラウンが脚本を書いた「ウォーリアー一家の過去」(1995)は、あるマオリ一家の緊張にみちた都市生活をえがいている。マオリの著名な音楽家として、国際的なオペラ歌手キリ・テ・カナワ、ホワード・モリソン・カルテットがいる。

ニュージーランドのアイデンティティを育成した作家として、マンスフィールド、マーシ、アシュトン・ワーナー、サージソン、シャドボールトがあげられる。ヒューム、レース、イヒマエラといったマオリの作家たちも、20世紀後半のニュージーランド文学に大きな足跡をのこした。ヒュームは現代のマオリの生活をえがいた小説「骨の人々」(1983)で、1985年にイギリスのブッカー賞を受賞した。

              4          図書館と博物館  ニュージーランドには1000以上の図書館がある。最大の図書館は120万冊の蔵書のあるオークランド図書館で、マオリの作品も多数所蔵している。オタゴ大学図書館とカンタベリー大学図書館も120万冊の蔵書をほこる。

美術館や博物館はほとんどの大都市にみられる。最古の博物館は1852年開設のオークランド博物館で、貴重な収集品が展示されている。

              V          経済  ニュージーランドは第2次世界大戦後、イギリスを特恵市場とする農畜産物輸出を背景に高度福祉国家をほこってきた。1960年の輸出の半分以上がイギリス向けで、チーズ、バター、羊肉にいたっては9割がイギリス向けだった。72年イギリスのEC(ヨーロッパ共同体)加盟で特恵市場をうしない、これに石油ショックが重なって、経済的困難に直面した。

198490年の労働党政権下で経済危機打開のため、経済規制政策をとる福祉国家から市場経済国家へ転換する、抜本的な経済改革がおこなわれた。外国為替取引の規制の全廃をはじめとする金融の自由化、農業部門への補助金の打ち切りなど補助金制度の撤廃、消費税の導入と所得税減税による税制改革を実施した。郵便、通信、福祉事業など国営事業の民営化と、徹底した省庁再編と公務員の削減による行政改革もすすめられた。90年に交代した国民党政権はさらに福祉予算の削減にも手をつけ、6%の高成長率とインフレの抑制を達成した。

              1          農業  
近代的農法と機械化の普及にともない、農業生産性の高さは世界のトップクラスとなった。ニュージーランドでは冬季の家畜舎を必要とせず、牧草もほぼ一年じゅう生育するため、ヒツジや肉牛の飼育と酪農に適している。主要な穀類は大麦、小麦、トウモロコシ、オート麦で、キーウィ・フルーツ、リンゴ、ナシ、タバコ、ジャガイモ、エンドウマメも重要な農産物である。ヒツジの飼育が盛んで、毛織物はオーストラリアについで生産量が多い。しかし、1980年代の経済改革によって農民や農製品工場への政府の補助金が廃止されたため、ヒツジの頭数が減少した。

              2          林業と漁業  切りだされた木材の約3分の1は材木として使用され、25%はパルプになる。植林の90%以上はマツである。もともとニュージーランドに自生していた森林は、植民地化されてまもなく、ほとんど伐採された。その後、生長のおそいニュージーランド固有の樹種にかわって、生長のはやい各種の外来の木が植林され、広範囲におよぶ再森林化がはかられた。

もっとも商品価値の高い海水魚は、タイ、タラ、マグロ、イセエビ、イカなどである。漁の大半はトロール漁業による。沿岸漁業権を保障する経済水域は、世界でも有数の広さとなっている。

              3          鉱工業  1970年代の鉱業生産高は、新たに発見された石油や天然ガスの採掘によって実質的に増加した。おもな鉱物資源に、石炭、石油、天然ガスがある。ほかに金、石灰石、鉄鉱石、シリカ、軽石などが産出される。

主要な工業は、食品加工、酪農製品、製紙、化学、金属、機械、衣服、木工などである。最大の工業中心地はオークランド。工業従事者数は、経済改革により1980年代後半から90年代初頭にかけていちじるしく減少したが、90年代半ばからは増加しはじめている。ニュージーランドでは、重工業を発展させるための労働者数と原料が不足している。

              4          エネルギー  電力の約4分の3は水力発電によるものである。残りの電力のほとんどは、天然ガス、石炭、石油を燃料とした火力発電によって供給される。北島では地熱発電もおこなわれている。

              5          通貨と外国貿易  1964年に制定された十進法通貨法にもとづき、十進法通貨制度が67年に導入され、ニュージーランド・ドルが通貨単位となった。それ以前の通貨単位はニュージーランド・ポンドであった。近年、政府は、郵便貯金銀行と最大の商業銀行であるニュージーランド銀行を売却した。

ニュージーランドは世界最大の酪農製品の輸出国で、羊毛の輸出でもオーストラリアについでいる。ほかの主要な輸出品は、キーウィ・フルーツ、魚類、羊肉、牛肉である。主要な輸入品は、工業製品、重機器、石油、化学製品などで、工業製品はほとんど関税なしで輸入される。おもな貿易相手国は、オーストラリア、日本、アメリカ合衆国、イギリスである。

              6          交通とコミュニケーション  道路などの国内交通は整備されている。北島と南島との間には、毎日定期的にフェリーが運航している。主要な港湾は、オークランド、ウェリントン、タウランガ、リトルトン(クライストチャーチ近郊)である。航空交通も発達しており、個人パイロットにも対応できるように整備された飛行場が各地に建設されている。ニュージーランド航空が最大の航空会社である。

通信業は、すべて民間企業によって運営されている。

              7          労働  1990年代初めで、労働人口の約10%は農業に、15%は工業に従事している。労働者に組合加入の決定権をみとめた雇用契約法が91年に施行されてから、組合員はいちじるしく減少した。失業率は経済改革の成功もあって減少し、96年には6%台になった。

              VI        政治  ニュージーランドはイギリス国王を元首とする立憲君主国で、成文化された憲法はない。

              1          行政と立法  通常の行政は、イギリス国王の任命した総督が王権を代行するというかたちで執行される。総督は行政議会と協力して行政を遂行する。行政議会は総督、首相、各省庁の大臣および無任所大臣から構成される。行政の中心は、首相と各省庁の大臣からなる内閣である。首相と各大臣は通常、第1党の国会議員の中からえらばれる。

立法府は一院制の国会である。国会の定員は120名、うち65名は直接選挙により選出され、5名のマオリ議員をふくむ。55名は比例代表制による。任期は3年。

              2          司法と政党  国内での最上級裁判所は控訴審のみを担当する控訴院である。控訴院の判決は、イギリス枢密院への上告がみとめられるものをのぞいて、最終的なものである。一般の審理をおこなう主要な裁判所は、高等法院と地区裁判所である。ワイタンギ裁判所は、マオリの訴えを審理する。ワイタンギ裁判所はヨーロッパ人が入植してからうばわれた土地の返還と、うしなった自然資源の代償を勧告し、1995年、政府はマオリへの土地の返還と補償金をしはらうことを決定した。

              3          政党  2次世界大戦以降、保守系の国民党と労働者層を支持基盤とする労働党の2大政党が政権を担当してきた。労働党は1938年に社会保障法を成立させて福祉国家への道を開いたが、国民党政権下の60年代に経済的繁栄を基盤に教育、保健、福祉にわたる高度福祉国家を実現させた。現在すすめられている経済大改革は84年に政権に復帰した労働党政権がはじめたものである。96年の選挙では、小選挙区比例代表制の導入で新政党が議会に進出、ニュージーランド・ファースト党が国民党と連立をくみ、連合党、消費者納税者同盟、ユナイテッド・ニュージーランドが野党として議席をえて、国民党と労働党による二大政党制がくずれた。

              4          地方自治と国防  15の地域と、地域と同じ機能をもつ3つの単一区にわけられ、それぞれの議会によっておさめられている。15の地域は15の市と59の地区に細分されている。

ニュージーランドの陸・海・空軍は防衛庁のもとで統合されている。兵力は陸軍4400人、海軍2100人、空軍3050(1997)。兵役は志願制である。

              VII     歴史  オランダの探検家タスマンは、1642年にヨーロッパ人としてはじめてこの地に到達した。1769年におとずれたイギリスの探検家クックは、ニュージーランドをイギリスの領地とした。

              1          モリオリとマオリ  タスマンがおとずれた当時、この地にはすでにマオリが居住していた。マオリは9世紀初期に太平洋諸島から北島へ到来し、その後1350年ごろにタヒチから大量に移住した。マオリの言い伝えによると、マオリ到来以前にモリオリ族がモアの狩猟のためにこの島にきていたという。モアは頭高4mにもなる巨大なとべない鳥で、すでに絶滅している。モリオリの最後の子孫は、20世紀半ばにチャタム諸島で没している。18世紀末〜19世紀初頭にイギリスの宣教師や捕鯨者がやってきて、マオリのはげしい抵抗にもかかわらず居住地や交易所をもうけた。

              2          イギリスの統治  184026日、北島のアイランズ湾岸ワイタンギでイギリスの代表と50人のマオリ首長とでワイタンギ条約が調印された。この条約で、イギリスはニュージーランドを統治することを正式に宣言し、マオリの土地の所有権を重んじることに同意した。

1850年ごろ金が発見されると移民の流入が急増する。移民の多くは金がとりつくされたのちもこの地にとどまり、農場などをいとなんだ。19世紀後半にはヒツジの飼育と金の採掘が国の経済をささえる主要な財源となった。82年の冷蔵船の導入によって生肉の輸出が可能になり、移民の定住と集約的な農業が一段と促進されていった。

              3          自治議会の成立  1852年、選挙で選出された議員からなる自治議会と内閣による中央政府が発足し、54年から議会が開会した。19世紀後半には、男子参政権と義務教育を制定した自由党と、おもに大土地所有者からなる保守党が政権を交互に担当した。1907年にイギリス連邦内の自治領となる。10年に労働党が組織されたが、12年まで自由党が政権をにぎった。

政府は土地制度の改革をおこない、投機的な大土地所有制を崩壊させた。ニュージーランドの政治で特筆すべきことは、1893年に世界で最初の婦人参政権を確立したことである。この時期には社会保障制度の基盤もつくられている。

              4          20世紀初期  1次世界大戦ではイギリス軍に124000人の兵士をおくる一方、オーストラリアと連合軍を形成。これはアンザック(ANZAC)として一般に知られるようになった。この戦争で16000人をこえるニュージーランド兵士が戦死したが、同時に新たな国家意識をニュージーランドにもたらした。

戦争後におこった土地投機ブームはまもなく価格の暴落をまねき、192126年の経済不況の大きな要因となった。経済不況は、29年からの世界恐慌によっていっそう悪化する。35年に政権をとった労働党は経済部門の国有化をすすめ、社会保障を拡大した。36年には国民党が結成されている。

              5          2次世界大戦とアジア  1939年に第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)すると賃金や価格の統制がおこなわれ、福祉政策よりも金利の安定が重視された。ニュージーランドは、イギリスをのぞく連合国の中では、人口に占める出征兵士の割合がもっとも高い国であった。45年には国際連合の設立にくわわる。47年、ウェストミンスター憲章を議会が採択し、完全な独立国となった。

1950年に東南アジアに関するコロンボ・プランに参加し、51年にはニュージーランド、オーストラリア、アメリカ3国間の安全保障条約であるアンザス条約を締結。さらに54年には東南アジア安全保障条約に調印した。

              6          福祉国家の達成  太平洋戦争当時のフレーザー労働党政権は、イギリス軍事力のアジア太平洋地域での敗退による危機をアメリカとの連携強化でのりきった。戦後1949年から国民党、57年には労働党と政権が交代した後、60年から12年間にわたりホリオークひきいる国民党が政権を担当した。この時期にニュージーランドは世界でも最高水準の福祉国家を実現した。しかし政権末期には羊毛の国際価格の下落、イギリスのEC(ヨーロッパ共同体)加盟によるイギリス市場の喪失などで、貿易赤字の増大とインフレにみまわれた。

              7          経済大改革  1975年にふたたび政権の座についたマルドゥーン国民党政権は、経済危機打開のため農業依存の経済体質からの転換をはかる「シンク・ビック計画」をすすめた。計画の中心はアルミ精錬の拡充をはじめとする工業化の推進と、天然ガス田の開発によるエネルギー自立であった。しかしインフレの高進と失業率の増加で福祉国家はゆらいだ。84年に登場したロンギ労働党政権は徹底した経済構造改革をすすめ、経済の立て直しに成功した。90年以降の国民党政権はさらに福祉政策の見直しにもふみこんだ。93年の選挙で国民党は辛勝したが、96年の選挙では国民党は第1党となったものの過半数にはいたらず、17議席のニュージーランド・ファースト党との連立を余儀なくされた。国民党の後退は行財政改革が弱者切り捨てにつながると批判をあびたためである。

199711月には支持率の低下に対する国民党内の批判でボルジャー首相が辞任、12月、シップリー新党首が首相となった。ニュージーランド初の女性首相で、労働党のクラーク党首とならび、2大政党がともに女性党首にひきいられることになった。9911月の総選挙では労働党が左派の連合党とあわせて過半数を獲得、労働党主導の連立内閣が発足した。首相にはクラーク党首が就任し、9年ぶりの労働党政権の誕生となった。

              8          反核政策  ニュージーランドはロンギ労働党政権下の1985年に核兵器積載、原子力推進の艦船、航空機のニュージーランドへの立ち寄り禁止をふくむ反核法案を議会に提出した。これに対しアメリカは、オーストラリア、ニュージーランドの3国でつくるアンザス条約にもとづくニュージーランドへの防衛義務の打ち切りで圧力をかけたが、反核法は87年に成立した。また、ニュージーランドは、66年以来のフランスの南太平洋ムルロア環礁での核実験にも強く抗議。85年にはオークランド港に停泊中の環境保護団体グリーンピースの核実験抗議船が、フランスの情報機関員によって爆破されたこともあり、駐フランス大使を召還するなど、対仏関係が冷却していた。96年のフランスの核実験終了宣言で両国関係は正常化した。

              9          日本との関係  
ニュージーランドの主要貿易相手国である日本からは、多くの中古車が輸入されている。ニュージーランド国内では左側通行ということもあり、日本車の占める割合はきわめて大きい。近年は日本からの観光客が急増し、ニュージーランドを訪問する海外からの観光客数としては、オーストラリア、アメリカにつぐ。また日本語への関心も高まり、1980年代後半から日本語の授業を開設する高校や日本語履修者が急増している。983月にはシップリー首相が来日して橋本竜太郎首相らと会談、核廃棄物海上輸送問題や漁業問題などについて話あった。


(以上、「エンカルタ百科事典」より)