1日目

(822)

 5.時に起床。朝食後、妻とともに家を後にし、歩いて10分弱の最寄駅(東武野田線初石駅)で、同行のO夫妻と落ち合い、643分の電車で出発。
 以後、柏駅で
JR常磐線に乗り換え、更に我孫子駅からは成田線に乗って、747分に成田駅に到着。
 駅前でタクシーに乗車(この頃はまだ
JRも京成も成田空港まで伸びていなかった)、成田空港到着は810分であった。

 D旅行会社のカウンターを探して、搭乗手続きを済ませた後、まだ時間に余裕があったので、空港内の喫茶店でコーヒーを飲み、出発前の英気を養う。

 ツアーの一行は、わずか8名で、我々4人のほかは70歳近いご婦人から中学生まですべて女性のTさん一族の4人のみ。
 実はこの8人は、言わばあぶれ先発隊で、本隊は添乗員とともに午後の便で出発する手筈になっていた。
 飛行機の座席数の関係で、比較的空港に近いグループが午前の出発に回されたらしい。

 フィリッピン航空PR431便にて10時丁度に成田空港を飛び立つ。
 ここでうれしい誤算あり。同行のO夫妻の搭乗券が1ランク上のエグゼクティブクラスになっており、O夫人がどうせ私はお酒を飲まないから,と言って、私に席を譲ってくれたこと。
 おかげでO氏とともにゆったりとした椅子で豪華な昼食を堪能することができた。
 エコノミーの席が満席で、やむなく旅行会社側でエグゼクティブの席をとったらしい。

 香港着 1250(日本時間 1350)ここでシンガポールまでの乗り継ぎの搭乗券を請求すると、またもや2枚はエグゼクティブクラス。やった !!

 トランジット用のトイレは有料とわかってはいたが、興味半分で入ってみる。
 果たして男23人でタオルと肩の塵払いのサービス。100円コインを出したが首を横に振る。どうやら500円硬貨が目当てらしい。要求どおり払うのは癪なので、これしかない振りをして300円だけ渡して強引に外へ出た。
 後で聞いた話では、ご婦人方は1ドルで済んだという。ちょうど倍額ふんどられた勘定になる。

 さて待つこと約2時間、1510分発のPR501便で出発。再び豪華な食事付の雰囲気を味わい、1820分、シンガポール・チャンギ空港に到着。
 夕方のせいか、思っていたほどの暑さではなく、これなら日本とさして変わらない感じであった。

説明: direction

                          (この画像はクリックして拡大できます)

現地ガイドの林(リン)氏に迎えられ、待つことしばし、マイクロバスに乗りこむ。
 バスの中で彼は、米ドルをシンガポールドルに両替してくれたほか、これからの日程や、いろいろな注意事項について流暢な日本語で話してくれた。

 30分ほどで、都心(?)の、とある中華レストランに到着。
 朝早くに出発させられた(?)我々に対し夕食をサービスすると言う。

 8人で 丸テーブルを囲み、ここでTさん一族ともようやく打ち解けて話すようになる。
 水道事情が悪いため、水は出ないが、代わりに中国茶が飲み放題の由。
 5S$でビールを一杯注文する。瓶単位でないところが日本と違う点だ。
 8人で次々に出てくる皿をつつき、味もまぁまぁで、一応は満足する。


 1時間ほどで引き上げ、再びマイクロバスに乗ること10分足らずで、2030分、オベロイ・インペリア・ホテルに到着する。

 ここでかねて予定していた4日目の夜の遊覧船観光をリン君を通じて一人70$払って申し込む。ガイドブックにはその半額程度の値段となっていたので、ちょっと高い気がしたが、ホテル送迎のほかガイドがつくということ、それにTさん一族も行きたいとの意向を示したので、8人全員で申し込む。

 さて、チェックイン後、1S$で荷物を部屋に運んでもらい、ひとまず旅装を解いた後、リン君に夜の散歩を案内してもらうべく、再びロビーに集まる。
 しかし、Tさん一族は疲れのため遠慮したいと言うし、リン君も案内しても金を落としてくれそうもないと察した模様で急に消極的になったので、結局は我々4人だけで出かけることとなる。

 地図を頼りに林君に教えられた道を歩き、オーチャード通りの繁華街と思しきところまで出る。
 道がきれいなこと、紙屑ひとつ落ちていない。塵を捨てたり、唾を吐いたりしたら500S$の罰金というのも納得がいく。
 歩行者用の青信号がすぐに点滅を始めるのには驚いたが、しかし点滅時間は長い。これも安全施策の一環か。
 安全と言えば、道路も中央分離帯のある大通りを除けば、すべて一方通行になっていたのには感心させられた。

 生憎と小雨がぱらつき出したので、すぐ引き返す羽目になる。

 ホテルの部屋は結構ゆったりしており、パジャマとスリッパ以外はすべて揃っている。
 洋式なので、洗面台とトイレ、バスタブは当然一体になっていたが、飲み水用として細い管がついており、一般用の水道管とは別になっていた。

 テレビは無料で見られたが、英語と中国語による放送であった。
 古い日本映画を中国語の吹き替えでやっていたが、妙な感じであった。

 4日間の滞在に備え、荷物を整理した後、シャワーを浴びる。
 しばしテレビを見るも、疲れからか眠くなり、23時に床につく。

 

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