5日目

(8月26日)

 最終日。帰国の日である。610分起床。手早く支度を済ませ、13階のレストランへ。
 朝食もそこそこに
730分、1階のロビーに集合する。

 745分、バスで出発。30分ほどでチャンギ空港に到着する。
 出国手続きを済ませ、ガイド氏から
8人分の搭乗券を受け取る。帰国便もまた我々8人が先発である。

 搭乗までの間、少しばかり残ったS$を日本円に換える。T一族のSさんが、誰か1S$持っている人はいませんか、と叫んでいる。どうやら残った小銭で最後の買い物をしたいが、1S$分足りない模様。
 ありますよ,と言って渡したところ、しばらくして戻ってきて、マンキンタンを
1個くれた。何のことはない、海老で鯛を釣ったようなもの。有難いやら、申し訳ないやら。

 さて、搭乗時刻も迫り、添乗員のSさんの音頭で、後発組の拍手で送られ、搭乗口に向かう。途中、記念にと、8人一緒の写真をSさんに撮ってもらう。

 

 

 

 

 搭乗機はPR502便。今度もまた義妹夫妻二人分はエグゼクティブクラス。
 今回はエコノミーを妻と付き合おうと、座席に向かっていると、義妹が追ってきて、また替わってくれるという。
 有難くその好意を受け、前方のエグゼクティブクラスのほうへ行き、スチュワーデスにその旨申し出たら… 黙って所定の席に座ってしまえばよかったのかもしれないが、たまたま通路で行き会ったので英語で替わった旨を伝える。
 ところが、それは駄目という。本人同士が了解しているのだからいいではないか、と言ったが、頑強にどうしても駄目と言う。やむなく一旦は戻りかけたが、再び取って返し、今まで他の便では何も言われなかったのに、今回に限ってなぜ駄目なのか、と執拗に食い下がってみた。
 流石に彼女もこちらの剣幕に押されてか、ちょっと待ってくれ,と言って、チーフ・パーサーと思しき人に事情を説明しているようであったが、やがて戻ってきて、それではここにあなたの名前を書いてくれ、と義妹の搭乗券に私のサインをすることで一件落着となる。

 再び、否、三たび、エコノミーに大差(?)を付けた結構な機内食をとりつつ、1310分、マニラ空港に到着。
 ここで皆を代表して、乗り継ぎ手続きを行い、四たびエグゼクティブクラスになる幸運を祈るも、今回はオール・エコノミー券。あーぁ。

 飛行機はPR432便で1435分発。エコノミーながら、一応ワインやウイスキーのサービスもあり、それに美人の日本人スチュワーデスもつき、雰囲気は悪くなかった。

 機内販売で、土産用にオーデコロンを2瓶、32US$で買う。日本円を使おうかとも思ったが、機内では1ドルが180円とのこと。かなり割高になるのでやめた。
 席の離れていた妻は、ウイスキーを買っていたが、後で聞くと、日本円が使えたから、それで払ったと言う。やはり旅慣れていなかったということか。


 日本時間
1940分、成田空港着。入国手続きを済ませ、バッゲィジ・サーキットにて荷物を受け取り、Tさん一族への挨拶もそこそこに、急ぎタクシーに乗りこむ。

 運転手は、盛んに自宅までこのまま乗っていくことを勧めたが、断り、不満顔の運転手を尻目に予定どおり成田駅で降りる。

 2035分発の成田線に乗車し、我孫子で常磐線に乗り換え、やれやれと席に腰を下ろしたとたん、前方の車両から一人の少年が走るようにやってきて、「ねえ、ねえ…」と話しかけてくる。誰かと思ったら、それは中学3年生の息子のHであった。

 聞けば、一昨日(24日)、かねてより肝硬変で清瀬の病院に入院中だった私の兄のKがとうとう亡くなり、今その葬式の帰りだと言う。多分この電車で帰ってくると思い、我孫子まで足を伸ばした由。
 このところ病状が安定しているようだったので、まさかこの
5日の間に急変するとは思ってもいなかったのだが…
 シンガポールのホテルに国際電話を指名通話で入れたが、外出中とのことだったので、メッセージを頼んでおいた筈なのに…、とか。
 それにしても何のメモも受け取らなかったが…もっとも冷たいようだが、知らなくて、かえってよかったのかも。
 
19歳も年上の兄には、すでに成人した息子と娘がいることだし、それに知らされても気をもむだけで、どうしようもなかったに違いない。

 人生のはかなさを憂いつつ、帰宅。時計の針は22時になろうとしているところだった。

                                完

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