第5日目

(1126)

 デルフィ → クレタ島

 6時に起床し、手荷物をまとめた後、7時に朝食に降りる。D夫妻と一緒になり、人生談義に花を咲かす。ご年輩の仲のよいご夫婦なり。

  30分ほどで一旦部屋に戻り、歯を磨いた後、7時55分チェックアウト。出発までまだ間があるので、カメラ片手にホテルのまわりを散策する。素晴らしい天気で、コリントス湾の眺めが綺麗だったこと。(右写真)

 8時29分、出発。途中、ゴミ収集車のためストップを余儀なくされるも、8時40分、デルフィの遺跡入口に到着する。

 ここデルフィは、アポロンの聖域として、古代ギリシアの崇拝の中心地ということで、大きく険しい岩山を背に、コリントス湾に続く峡谷を見下ろす、世界でも屈指の美しい場所に位置している。
 また谷側にはオリーブの木が密生していた。

 ここでも1000ドラクマの半券を手に中にはいる。

 まず、スルーガイドの木下さんから聖域全体の構図について説明を受けた後、下から順に、アルゴス王の台座、アテネ人の宝庫、シュビラの岩、アポロン神殿、劇場など、遺跡を見てまわる。

 シュビラの岩は、円錐形の小さなもので、こここそがギリシアの中心ということで、「ギリシアのへそ」の異名があるとか。
 添乗員の
Yさんと岩の両側に立ってカメラに収まる。(下左写真)

 アポロン神殿は聖域の中心にある最大の建造物で、ドーリア式の円柱に支えられていたとのことだが、現在残存している6本のうちオリジナルの柱は1本のみで、他の5本は修復されたものとのことだった。(下右写真)

 

 

 

 

 

 


 劇場は古代の原形をとどめてはいたが、エピダウロスのそれに比べて、かなり損傷しており、規模もやや小さいものであった。(下左写真)

 更に上に登って競技場に出る。
 ここでも皆さんの期待に応え、走ってみた。もちろん、今回見返り何もなかったが…(下右写真)

 

 

 

 

 

 


 もと来た道を下って遺跡の外へ出、10時30分、隣接の博物館にはいる。ここもまた入場料は1000ドラクマであった。

 ここでの注目すべき作品は、銅像「デルフィの御者」(BC475)(下右写真)で、表情、特に両目の澄んだ輝きは素晴らしかった。
 そのほか、翼のついたスフィンクス(下左写真)、アントニウスの立像など、目を惹きつけさせるものに富んでいた。

 最後にここでもガイドブックを買ったが、種類が多く、選ぶのに一苦労だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 50分弱の博物館見学後、再びバスに乗り、小高い丘の上のレストラン「CHALET」へ。

 8人テーブルに例の4人の他、ご婦人方4人と一緒になる。
 嬉しいことに、ミネラルウォーターのほかビールがサービスで付いた。
 料理のほうは、ほうれん草に肉をまぶしたもの、キャベツとトマトのサラダ、羊肉の串刺し、ポテトとライス、それにリンゴがつき、まずは満足のいくものであった。

 昼食後、出発まで若干の時間があったので、付近を散策。デルフィの町をバックにパチリ。

 13.時ちょうどに出発。一路アテネに向かう。

 途中、アラホバの村はずれでのカメラストップ、リバビアの町はずれのドライブインでのトイレストップをはさみ、綿花畑の広がる道を2時間弱走った後、アテネ〜デサロニカ間を結ぶ国道に出る。
 国道は両側各3車線の真っ直ぐな道だ。ちなみにギリシアでは高速道路はないが、国道は100kmまでは出せるとか。

 15時30分頃、アテネ近郊のオロボリスの街にはいる。この辺はアテネ人の避暑地になっていて、山火事の多いところらしい。

 車が多くなってきた。工場が15時に終わるため、勤め帰りの車とのこと。

 15時50頃、アテネの町にはいり、キキシア通りを行く。結構なラッシュだ。右手に中央電話局が見える。

 16時15分、シンタグマ広場に突き当たり、左折。広場は地下鉄工事のため囲われてしまっていた。
 街並はニュージーランドのオークランドに似ている。通りは多少狭いし、ごみごみした感じは否めないが…

 程なく、トイレを借りるため、ブランド品販売店「L.MARIS」に到着。

 狭い店で、高級品ばかりとあっては、もちろん買うものはなく、トイレを借りた後、外に出て一回り。途中2回英語で声をかけられる。いずれもこちらが日本人と分かると、しきりに日本の地名を挙げて、自分も行ったことがあるなどと言い(ひとりはドイツ留学中に長野県出身の日本人と机を並べ、もうひとりは、かつて船員だったので、神戸や横浜に立ち寄ったことがある由)、自分の店がすぐそこにあるから寄っていかないか、と誘う。時間がないから、と相手にせず。(下写真はアテネ市街の風景)

 16時50分、出発。車窓からパルテノンの雄姿を垣間見つつ、空港へ向かう。
 やがてシンクルバス通りに出る。この道はアテネとエーゲ海を結んでいるもので全長15knとか。

 タクシーはすべて個人営業で、タクシー会社なるものはない。料金は最低300ドラクマとのこと。一方バスは、75ドラクマの均一料金の由。

  1718分、空港に着く。
 ここで5日間世話になったドライバーのパブロス氏とお別れする。ポーターがいないので、スーツケースは自分たちで引きずり、建物内へ。
 この11月から国内空港税がかかることになったということで、3回分7500ドラクマを請求される。本件は出発前には何も知らされておらず、みな陰では不服そうであったが、表立って文句が出なかったのはやはり添乗員のYさんの人柄故だろう。
 おかげで現地通貨が乏しくなったので、急ぎ空港内の銀行窓口で両替する。1万円で16,190ドラクマになったから、最初の時よりはいい。

 18時30分頃、手荷物、身体検査をパスし、30分あまり待機の後、シャトルバスで搭乗機に向かう。

 19時16分、オリンピア航空(OA-0512便)に搭乗。座席は06F席で、ご主
人がもと銀行員だったN夫妻と隣り合わせになり、談笑。夫人は私の姉を
若くしたような感じの人。こちらの人のほうがずっとしとやかだが…

 19時41分、離陸。しばらくしてジュースのサーブがあり、耳栓をしたのも束の間、すぐ降下し始め、イラクリオンの町の灯が見えだし、20時13分、無事イラクリオン空港に着陸した。
 今回は短時間だったので、耳の痛みは全く感じなかった。               
 機外へ出て、スーツケースを受け取り、20時42分、ツアーバスで出発。
 ドライバーはマイクル・ミハルス氏。ここイラクリオンの人口は7万7千人とのこと。

 あぁ、やっとクレタ島にやってクレタ !

 20時55分、アストリア・キャブシス・ホテル着。
 直ちに2階のレストランに上がり、夕食。いつもの4人で1テーブルを囲み、飲み物はビールにする。
 料理は、エビのカクテル、ハンバーグ、トマトとキュウリのサラダ。私が最後で、一部足りなくなり、ボーイが「I'm coming later 」と言ったので、しばし待つも一向にやってこず、忘れられてしまったようなので、催促に行く。デザートにはアイスクリーム。これは絶品だった。

 さて、明日の出発は10時と聞いて、みなホッとする。それにしても長い一日であった。

 22時10分、やっと自分の部屋にはいる。角部屋でだだっ広かった。

 旅装を解き、入浴し、床についたのは、0時5分前であった。(本日の歩数、9334)

 

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