10日目

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シラーズ滞在

 

さあ、いよいよ本日午前中は本ツアーのハイライトとも言うべきペルセポリス遺跡の観光である。

8時30分、ホテルを出発し、北東に向かって走ること1時間強、目的地に着く。

 

ここペルセポリスはシリアのパルミラ、ヨルダンのぺトラと並んで中東の3Pの一つに数えられる大遺跡で、世界遺産にも登録されている。

 

ペルセポリスはBC 512年アケメネス朝のダレイオス1世が王位につくと同時に着工され、以後3代にわたり約60年の歳月を費やして建設されたという総面積125,000kuの都である。BC 331年にアレキサンダー大王によって陥落され、宮殿は廃墟と化したが、そこかしこの遺跡には今なお王朝の栄華の名凝りをうかがわせるものがあった。

なお、この場所は、1931年に発掘されるまで、ほこりと砂に埋もれていたとのこと。

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最初は入口から入ってすぐの大階段(右写真) 左右対称のもう一つの階段が右側にもあり、どちらも折り返しで110段ある。

これらは1段ずつ石を積み上げたものではなく、一つの岩から5段分の階段を切り出して削ったもの。段差が約10センチと低いが、これは馬に乗っての昇降の便宜のためだったと考えられる。また手すりの装飾はゾロアスター教の印である炎を表している由。

 

 

説明: 説明: 説明: persepolis2 大階段を登りきると、ペルセポリス宮殿の正門クセルクセス門(左写真)が現れる。クセルクセス1世が建てたアッシリア様式のこの門は、「万国の門」と呼ばれ、貢物を持った属国の使者たちの控えの間の役割を果たしていたとか。現在は高さ10mの側柱や円柱が残っているだけであるが、東西南の3方向に出入り口をもち、それぞれに見事な人面有翼獣神像のレリーフが対をなしている。残念ながら、顔面は偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって破壊されてしまったとのこと。

 

次に目に入ったのがホーマと呼ばれるユニークな架空の動物の彫像(双頭鷲像)(下左)で、これはイラン航空のマークにもなっている。

中央は「未完成の門」で、これは製作中にアレキサンダー軍に攻撃されたため、頓挫したもの。しかしそのお陰で、当時の製作工程を知る貴重な手掛かりとなっている由。

右写真は「百柱の間」といわれるもので、その名の通り、かつては100本の柱を有したペルセポリス最大の広間だったとか。現在は柱も崩壊し、70m四方のガランとした空間になっているが、当時は朝貢者との謁見の間として、また軍隊や過信との会議に使われたところだという。

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次に見学したのはアパダナ宮殿跡(右写真)

説明: 説明: 説明: persepolis6 これはダレイオス1世の命により建てられた豪華な宮殿で、属国からの使者との謁見やノウルーズ(新年)の祭儀のために使われたところらしい。高さが26mもある床には磨かれた石が敷き詰められ、水路の溝の跡まであり、当時の設備がいかに整っていたかを物語っている。レバノン杉が使われていたという屋根は、高さ20mの柱によって支えられていそうで、今もそのうちの12本が原型をとどめ(下左)、天空を突き刺すように聳えている。

このアパダナ宮殿には東西南北に出入口があるが、北側と東側にそれぞれ階段があり、その横にレリーフが描かれているが、東側のものは特に必見で、王への貢物を手にした使者の姿(下中)などが描かれている。

また牡牛を襲うライオンのレリーフ(下右)も臨場感がよく出ており、この解釈は諸説あるが、ライオンが夏、牡牛が冬を表し、季節の移り変わりを表しているという説が有力との由。またライオンを王、牡牛を敵の象徴とみる説もあるとか。

右2枚はハッキリと見えないと思いますが、拡大していただければ、よく見えると思います。

 

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説明: 説明: 説明: persepolis10アパダナ宮殿のすぐ南側にあるのがダレイオス1世の冬の宮殿()で、建材に磨き抜かれた黒大理石を使っていることから、鏡の間とも呼ばれているとのこと。

全体的に保存状態がよく、実際、南側のゲートの側面などは今もピカピカに黒光りしていて当時の様子を髣髴させる。

また、9人中8人の王の名前を刻んだ碑文があり、歴史的にも価値あるところで、かつては宝石が埋め込まれた彫像などで装飾されていたという。

 

ペルセペリスでの見学を終え、向かったのは約6km北西にあるナグシェ・ロスタム

ここは岩山にあるアケメネス朝歴代の4大王が眠る墓で、崖の壁面がギリシア十字型に彫り込まれている。上部には、王の玉座を臣民たちで支える「玉座かつぎ」と、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダのレリーフが残っている。(下左)

また、墓の下部には、見事な馬上の騎士のレリーフが施されており、特に馬にまたがるササン朝の王シャープール1世と捕虜となった東ローマ帝国皇帝ヴァレリアヌスが高さ7mもの大きさで描かれている「騎馬戦勝図」は見応えがあった。(下中) ナグシュ・ロスタムとは、伝説の英雄「ロスタムの絵」という意味で、その名はこのレリーフに由来しているとのこと。

墓の向かい側には、石造りの建物があったが、これはゾロアスター教神殿として聖火を祀っていたと言われている。(下右)

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付近のレストランで昼食後、同じような岩壁彫刻が残るナグシェ・ラジャブを見学し、シラーズへの帰途につく。

 

シラーズ帰着後、まず、街の北西にあり、昨日まわり切れなかったハーフェズ廟を訪れる。

説明: 説明: 説明: hafez1ここは、イランの最も偉大な抒情詩人ハーフェズが眠る廟で、彼は生まれ育ったシラーズをこよなく愛し、1325年の生誕から1389年に没するまで生涯の殆どをこの地で過ごしたという。

廟は薔薇など様々な花が咲く美しい庭園になっていて、棺は高台にある丸屋根・東屋風の建物に安置されており、多くの人々が参拝に訪れていた。

大理石の墓石に彫られているのは彼の代表作ということで、ガイドのディバン氏が情感たっぷりに読み上げてくれ、言葉は分からないながら、詩人の心の琴線に触れた思いであった。

奥には中庭風のチャーイハーネ(下右)があり、趣を添えていた。

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ハーフェズ廟見学後はバザールで買物をし、ホテルに帰着したのは1730分で、小憩後、ホテル内で夕食をとり、本日の日程を終えた。

 

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