第9日目

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テヘラン → シラーズ

 

待ちに待った青空が戻る。朝食後、8時52分、ホテルを出発、空港から国内便でシラーズへ。

約1時間のフライトで、シラーズ空港に着き、まずは市内のレストランで昼食をとり、午後からシラーズ市内の観光に入る。

 

シラーズは標高1600mの高地に位置し、バラと詩で知られるファールス州の州都で、後日行く予定のエスファハーンに次ぐイラン屈指の観光地とのこと。

 

最初に訪ねたところはサーディ廟

説明: sa'diここは13世紀の偉大な抒情詩人サーディの廟で、堂々とした現在の廟は1864年建造のものとか。裏にはペルシア様式の糸杉の庭園があり、静かな佇まいをみせている。

 

サーディは1291年に亡くなるまでの100歳近い生涯で、30年間も中東や北アフリカ、インドなどを放浪した後、70歳を過ぎてからシラーズに戻り、「ゴレスターン(薔薇園)「ブースターン(果樹園)といった代表作を書き上げたという。特に前者は数ヶ国語にも翻訳されている傑作とか。

棺には、ペルシア語で彼の言葉が記されていて、「人間いくら悪くても、周りが良ければ良い人間になる」というふうにガイドは訳してくれたが、周りの人を大切にしようという意味であろうか。

 

次いで訪れたところはエラム・ガーデン

説明: e門を入ってまっすぐ進むと見えてきたのは19世紀建造のエラム宮殿で、ガージャール朝(17791921)の代表傑作だという。建物自体も華麗だが、壁画やタイルワークなどが繊細で実に美しい。また宮殿の正面には花々に囲まれた池があり、更にはその両脇には糸杉が列を成し、全体的に素晴らしい景観を呈している。

この庭園は薔薇が咲き誇るパラダイスとのことであるが、残念ながら、時期的にやや早く、薔薇はまだほんの少ししか咲いていなかった。

 

次に向かったのはナシル・アル・モルク・モスク

説明: r

舌をかみそうな名前であるが、ナシル・アル・モルクとは、19世紀末にシラーズを統治していた人の名前であり、壁に薔薇の絵があることから、別名ローズ・モスクとも呼ばれているらしい。

このモスクは、それまでのモスクの常識を破ったことで知られているそうで、壁に赤やピンクの色を使用していることや、城のデザインや薔薇の絵を描いていること、それにステンドグラスを採用したことなどがそれにあたる由。

ここまで思い切ったことができたのは、ナシル・アル・モルクがガージャール朝の中で余程の力を持っていたからに違いない。

 

モスク内は静寂そのもので、しばし床に腰をおろし、見事な内部の装飾を鑑賞しつつ、心静かな時間をもつことができ、いくらかでもこれまでの疲れが癒される思いであった。

 

本日最後の観光先はイマームザーデイェ・アリー・エブネ・ハムゼ聖廟。

説明: hamze2説明: hamzeここはシャー・チュラーグの弟アリー・エブネ・ハムゼの廟で、美しいドームは遠くからでも人目を惹き、内装、特に天井部分の鏡モザイク張り(右写真)の美しさは圧巻であった。

ここでも女性はチャドルを被らされ、男女別々に入場し、別々の部屋から仕切りを通して中央の棺を見る仕組みになっている。

 

午後の観光を終え、1830分、シラーズ市内のホテルに入り、旅装を解いた後、ホテルから15分くらい走ったところにあるレストランにて夕食をとり、21時半ホテルに帰着し、本日の日程を終えた。明日の泊まりもこのホテルである。

 

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