3日目

( 526)

ハイフア→ツィッポリ→メギド→ティベリア

 

8時05分、まずはカルメル山を2分ほど下って、バハーイー教霊廟の庭園上からハイファの町をパノ説明: 説明: 説明: israel13-1ラマ展望する。花が咲き乱れる美しい庭園越しには、ハイファの貿易港や穀物倉庫、遠くはアッコーを越えてレバノン国境辺りまで見渡せた。

眼下に見える丸屋根の建物が、バハーイー教の先駆者エルバーブが眠る霊廟で、その庭園とともにハイフアのランドマークにもなっている由。

この後、カルメル山を降りる途中のラウンドアバウトで、美しい庭園の全景を見るべく、ドライバーが気を利かして、何回もぐるぐると回ってくれたが、止まってはくれなかったので、写真に収められなかったのは残念であった。

バスはカルメル山を後に西に向かい、次の観光地ツィッポリを目指す。途中、微高地にアラブ人の住居が立ち並び、イスラエルと言っても、必ずしもユダヤ人だけの国でないことを再認識した。

ツィッポリ

9時10分、ツィッポリに到着。ヘロデ王の時代以来、ここは4万人もの人口を擁するガリラヤ地方説明: 説明: 説明: israel3-3の首都として栄え、その4km西にあるナザレは寂れた田舎だったとか。しかしその後ナザレはキリストゆかりの地として発展し、一説明: 説明: 説明: israel3-2方、ツィッポリは今では廃墟となった遺跡を残すのみと、両者の立場が逆転してしまっている。

ツィッポリでの見どころは、国立公園内に遺跡として残るビザンティン時代のモザイク画の数々で、シナゴーグ(ユダヤ教会)の床にある星座、豪族宅床のデイオニソスの生涯ガリラヤのモナリザ像、ナイルハウスのアマゾネス(乳房の意味から)の戦いなど、相当部分が剥げ落ちてはいるものの、細かい石を砕いて絵柄を造る技術とその美しさに圧倒される思いであった。

どうぞ、右のイラストをクリックされ、見事なモザイク画の数々をご堪能いただきたい。

メギド

ツィッポリ遺跡を後に肥沃なエズレル平野(エル・イスラエル=神が種まき給う土地)を南下すること約35分、7000年の歴史が層を成す丘、メギドに到着する。説明: 説明: 説明: israel3-4

まずは博物館に入って、ソロモン時代のメギドのテル()の模型を基に、古代の中近東地域の概要、メギドの地域・地形的重要性、遺跡の多層性などの説明を受けた後、炎天灼熱の屋外へ。(ここで体力に自信のない3名の方はバスに引き返す)

遺跡はBC4000年のカナン時代(石器時代)から幾層にも亘っており、古代ではこの丘がメソポタミアからエジプトに続く国際的な通商路の要衝としていかに重要であったかを物語っている。

さて、初期カナン時代(石器時代)の城門から遺跡見学に入り、神殿地区、食物貯蔵庫跡、兵舎跡、地下貯水槽などを45分程かけてまわったが、古代人の知恵と技術のすごさ、中でも水源が外敵の包囲に備えて、城外にある水源まで地下トンネル(左写真)を掘り、城内で利用できるようにした水道施設にはほとほと感心させられた次第である。

(遺跡の態様はここをクリックされ、スライドショーでご覧ください)

 

メギドを後に再びエズレル平野を横切って北東に進み、ナザレ郊外のタボール山の麓にある、キブツ(農業集団)が経営する瀟洒なレストラン「MIZRA」に到着、昼食となった。

私の苦手とするビュッフェ方式であったが、メニュの中にユダヤ教徒にとってご法度の豚肉があるのには驚いた。どうやら、このあたりはイエスゆかりのナザレに近いため、そこを訪れるキリスト教徒向けということなのだろうか。

隣にはコンパクトながらスーパーマーケットもあり、食後に覗いてみたが、結構な賑わいであった。

説明: 説明: 説明: israel3-6

説明: 説明: 説明: israel3-7

ナザレ

いよいよイエス・キリストの生涯において深い縁のある町、ナザレに入り、1401分、旧市街の入口で下車する。

受胎告知教会

旧市街に入り、坂道を登っていくと次第に教会の黒い三角屋根が見えてきた。受胎告知教会である。説明: 説明: 説明: israel3-8なかなか優美で女性的な建物で、正面入口の上部には、福音書の作者とされるマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4人のレリーフが彫られている。

現在の聖堂は、著名なイタリアの建築家G・ムツィオの設計によるもので、196068にかけて建設され、1969年3月25日に献堂されたという。高さ78m、奥行40mにも及ぶ中近東最大の教会建築とか。建設に先駆けて行われた発掘調査によると、この場所に最初の教会が建てられたのは3世紀説明: 説明: 説明: israel3-9で、ユダヤ教会堂の様式にのっとったシナゴーグチャーチであったとのこと。

1階にはマリアがお告げを受けたといわれる洞窟がある。すなわちその洞窟の上に教会を建てたというわけで、聖堂内で最も神聖な場所とされている。洞窟内には祭壇が置かれ、ロ説明: 説明: 説明: israel3-10ーソクの火は絶やすことがないという。上方にある天蓋の側面には銀細工のレリーフが施され、左右には十字軍時代に建てられた教会の柱の基底部が残っている。

また2階のバジリカ聖堂にはモザイク画、フレスコ画、彫刻類のほか、建設にあたり各国から祝いに贈られた聖母子のモザイク画で飾られていたが、その中に細川ガラシャをイメージした日本の長谷川路可画伯による「花の聖母子」も見つかった。大部分の国の聖母子画像は屋外の回廊に飾られているのに、日本のものは聖堂内に飾られている数少ない国のグループに入っているとは、よほど寄付した金額が大きかったということであろうか。

聖ヨセフ教会

説明: 説明: 説明: israel3-11次いで受胎告知教会に隣接している聖ヨセフ教会に向かう。

ここは、イエスの御母マリアと清い愛の絆で結ばれ、イエスに父の慈しみをもって尽くされた聖ヨセフを祀る教会である。

大工のヨセフが仕事場としていた洞窟の上に建てられていて、入口の壁にはヨセフがマリアとともに幼児イエスに慈愛溢れる眼差しを向けているレリーフがあり、また内部にはヨセフがマリアとともに大工仕事に勤しんでいる絵画などが飾られているなど、人間らしさを感じさせる逸話に溢れている。そのためか、ヨセフの棺の周りには今なおその人徳を偲ぶ参拝者が絶えないようである。

ちなみに、ヨセフという名には「加える」という意味があるそうで、ヨセフによって神の恵みが増し加わるということらしい。

説明: 説明: 説明: israel3-12

説明: 説明: 説明: israel3-13

説明: 説明: 説明: israel3-14

カナ

ナザレでの観光を終え、ガイドの知人の店でトイレ休憩後、ナザレの北東8kmほどの小高い丘の上のカナへと向かう。カナはイエスが初めて奇跡を行った場所として歴史に名を残しているが、ここも現在はアラブ人の町となっている。

婚礼教会

まずは、イエスの奇跡を記念して建てられた婚礼教会へ。

説明: 説明: 説明: israel13-15イエスが母マリアや弟子たちとこの地を訪れた際、婚礼の席で接待役のマリアがワインが足りないのに気づき、イエスに「何とかしてあげられないか」と相談したところ、6つの水がめの水をワインに変えたという。

狭い路地を挟んで2つの婚礼教会がある。フランチェスコ修道会によるものとギリシア正教会によるものだが、財力の違いなのか、前者のほうがよく整備されているとの説明: 説明: 説明: israel13-16ことで、我々はそちらのほうに入り見学した。

水をワインに変えたといわれる水がめの一つがケースに入って飾られていたが、クリスチャンではない我々にとっては、ただ古めかしい石の水がめというだけで、特に神々しさは感じられなかった。

余談ながら、教会の向かいの店で、このエピソードにちなんだ「カナのワイン」を売っており、試飲させてもらったが、結構甘めの味であった。

 

カナを後に更に国道77号線を北東に向かって下ることこと20分、海抜マイナス200m地点にあるイスラエル最大の淡水湖であるガリラヤ湖の鮮やかな景観が眼前に広がってきた。

1710分、ガリラヤ湖畔の町ティベリアのホテル「Holiday Inn Tiberias」に着き、下車したが、高度がマイナス200mの地点に身を置くのは初体験で、心なしか空気が濃いように感じられた。

時間が早かったので、部屋に入ってまずは入浴し、19時からビュッフェ方式の夕食をとり、本日の日程を終えた。それにしてもよく歩いた一日であった。

(本日の歩数 16198)

 

ホーム

トップページへ

前ページ

次ページへ