4日目

(3月30日)


 モンテ・アルパン

 朝食後、ホテルを7時45分に出発。メキシコ航空の国内便で、空路を行くこと約2時間弱、オオハカ空港に着いたのは正午近くになっていた。
 直ちに握り飯の昼食をとりつつ、バスにてモンテ・アルパンに向かう。

 モンテ・アルパンは、オオハカ市街から西へ7kmほど行った丘の上にあり、サポテカ文化の中心の宗教都市跡で、BC700年から1400,年頃までの長い歴史をもつ大規模もの。

 左写真は、北の台座から南に向かって撮ったもので、長さ300m、幅200mの大広場を中心に巨大な神殿跡が立ち並んでいる。

 

 この遺跡で第1の見ものは、第1期(BC700300の作とされる踊る人の浮き彫りである。
 石の表面に彫られた様々な姿勢の裸の男たちは、踊る人と呼ばれているが、拷問にかけられた捕虜を表しているとも言われている。
 踊る人の浮き彫りは、この他にも数点見られた。

 大広場の中心に一連の建造物があるが、その中で変わった形態の建物がある。

 マウンドJと呼ばれているもので、天文台と考えられている。

 ここで太陽や星の運行を観察したということであろうか。

 古代メキシコの宗教都市には球戯場があるのが常とか。

 ここで2組の選手たちが肘、膝、胴体だけを使って重いゴムの玉を動かし、サッカーに似た試合を行ったという。
 しかしそれは単なるスポーツではなく、生贄を決めるためのものだったらしい。

 ヤグール

 次いで、モンテ・アルパンから約40km東にあるヤグール遺跡へ。 

 この遺跡はサポテカからミステカへの移行期のものといわれている。
 規模はそれほど大きくはないが、地下墳墓などもあり、また遺跡からのオオハカ盆地の景観が素晴らしい。

 ミ ト ラ

 ヤグールから更に東へ行くこと10kmあまり、死者の都ミトラに着く。

 ここミトラ遺跡は、モンテ・アルパンとは異なる建築様式をもち、宮殿の壁に見られる、幾何学模様の美しい石のモザイク模様や丸い石柱が中心の円柱のグループ(下左、中)と、スペイン植民地時代の教会にミトラの古代遺跡の一部が利用されている教会のグループの建物群(下右)がある。

 


 
トゥーレ

 17時25分、ミトラを後に宿泊地のオオハカへの帰路につく。
 そして、オオハカの10kmほど手前のサンタ・マリア・デル・トゥーレの町に立ち寄る。

 左の写真は、トゥーレの木と呼ばれている大木である。

 周囲は実に40m、樹齢は2000年から3000年といわれる巨大な糸杉の古木で、あたりを睥睨し、見る者を圧倒していた。

 左下の人物と比べてご覧あれ。いかにこの木が大きいか、お分かりになろう。

 かつて、征服者コルテスとその部下がホンジュラス遠征の途中、、この木の下で休息した、と伝えられている。

 オオハカ

 オオハカの中心広場(ソカロ)に着く頃には、すでに星空の輝く19時近くになっていたが、ホテルに入る前に、急ぎサント・ドミニカ教会に向かう。

 ここオオハカは、昼は青空、夜は星空の下に広がる、人口21万、海抜1563mの高原の町で、コロニア風の美しい建物が並んでいるのが印象的であった。。

 下の写真は、16世紀後半から約1世紀かけて完成したメキシコが誇る文化財、サント・ドミンゴ教会の内部で、バロック様式の傑作といわれている由。輝く黄金の華麗さに圧倒された。

 
 19時40分、市内のホテルに着き、遅い夕食をとって、この日の日程を終えた。

 

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