5日目

(4/9)

 

ボホール島 → パミラカン島 → ボホール島 → セブ島 → マニラ

 

今日は、早朝より、パミラカン島周辺海域へホエールウオッチングに出発である。

5時48分にホテルを出、606分、昨日訪れた教会前のバクラヨン港に到着。直ちに安全チョッキを着用し、(右写真の)ボート2艘に分乗して、南下、パミラカン島方面に向かう。

パミラカン島周辺海域は、マッコウクジラを初め11種類の鯨とイルカの生息地で、また、パミラカンとはマンタの休息地という意味だというから、運がよければマンタも見られるかもしれない。

そんな期待を抱きながら、海上を巡ること90分、しかし現実は厳しく、とうとう鯨はおろか、イルカにも会えなかった。

しかも最初のうちは曇っていて気温が上がらず、冷たい潮風が短パン、サンダル履きの足に容赦なく当たったため、寒くもあり、ようやく日が差してきた頃には、みな鯨よりも早く朝食をとって空腹を満たしたいという思いのほうが強くなり、鯨はあきらめ、早く島に上がろうということになった。

花子さんが気の毒がって、運がよければ見られたはずの鯨の写真を3枚見せてくれた。

820分、ようやくパミラカン島に上陸、やっとボックス弁当の朝食にありついた次第。内容は、サンドウィッチにゆで卵、バナナにジュースと粗末なものであったが、空腹の身には結構美味しかった。

パミラカン島は、前頁「ボホール島の概況」の地図でもお分かりのように、バクラヨン港の南10kmに浮かぶ米粒ほどの島ながら、真っ白な砂浜と紺碧の海、そして青い空のコントラストがとても美しく、しばしこの世の楽園気分に浸ることができた。

住民はバンガローのような家に住み、小さな教会もあり、子供たちも非常に人懐っこく、進んで写真を撮らせてくれた。

以下、特に説明は付けないが、下の写真から、島の雰囲気を感じ取っていただければ幸いである。

( これらの画像は自動のスライドショーにはしてありませんが、各画像の右上にある ⇒次ぎへ のマークをクリックしていただくことにより、次の写真に進むことができます )

 

帰路は、もう鯨は追わず、まっすぐに戻ったため、50分ほどで、バクラヨン港に帰着、下船した途端に雨が降り出す。危うくセーフといったところか。

雨はだんだん激しくなり、ホテルに戻った頃には土砂降りとなるも、再び親切なボーイさんのパラソルに入って自室に戻った。

昼食時間まであと1時間半ほどあるので、シャワーを浴び、移動の支度を整えた後、しばしベッドで休めたのは有り難かった。

その後、雨上がりの敷地を昨夜と同じレストランまで歩き、昼食。メニュは昨夜と同じようなものであった。

昨夜は暗くなっていたので気付かなかったが、ここは海に面しているホテルだけあって、レストラン付近から見渡す景色は素晴らしく、もうちょっと留まっていたかったほどである。聞けば、このホテルの敷地は4ヘクタールもあり、そこには3つのレストランのほか、プール、テニスコート、子供向けのアスレチック施設もあるという。滞在中は雨に祟られ、散策する機会がなかったのは残念であった。

 

さて、これでボホール島でのすべての日程を終え、マニラに向け、まずは経由地のセブ島へ戻るべく1325分、ホテルを後にタクビララン港へ。

高速船発着所にはものの4分ほどで着く。ここで世話になった花子さんと別れ、ターミナル内に入って、例によって手荷物検査を受ける。犬の検査もあったが、なぜか私の荷物は免除された。

問題はこれからだった。出航予定時間は1430分であったが、肝心の船自体が、その5分前になっても入港せず、埠頭は空のまま。双眼鏡で沖合いを見渡しても影も形も見えない。前日セブ島からこちらへ来る時にキャンセルになった船と同じ船である。セブ島からマニラへの飛行機の出発時刻は1730分なので、遅れ時間によっては乗りそびれる恐れも出てきた。

まったく、2日続けてこんな不手際とは、時間に厳しい日本では考えられないことだが、時間に遅れるのが普通のここフィリッピンでは、大して問題ではないのかもしれない。

1435分、船は沖合いからでなく、左の島影から突然姿を現したので、ホッとする。ガイドのS氏、添乗員のYさんの安堵のほどはいかばかりだったろう。

 

さて、船は約30分遅れの1502分に出航。待機中に降り出した雨が激しくなったが、船室内とあって影響なく、相変わらずツイている。往路の時より冷房がきつく感じなかったのは、窓際に座を占めたからだろうか。

しばしまどろんでいる内にセブ港が近づき、ほどなく1635分、着港。直ちに待機のバスに乗り込み、セブ空港に着いたのは1701分だった。

飛行機の出発時刻は1730分なので、空港内を走るようにして移動、搭乗手続きを経て、手荷物検査を受けている間にも、早く搭乗するようにと、アナウンスあり、個々人の名前まで読み上げられる始末。

それでも、1713分、無事搭乗し、ホッとする。

そう言えば、先ほど下船の際に、日本の一人旅らしい青年が、荷物置場に置いておいた自分のバッグがない、と係員に苦情を言っていたが、その後、どうなったろうか。自分も同じ場所に置いておいた。そして着港の10分前には引き取って手元に持ってきていたのだが、その青年は着港してから取りに行き、なくなったのに気付いたらしい。何とも気の毒な話である。やはり置引きには十分気をつける必要があるようだ。

 

1738分、離陸。ちょうど50分のフライトで、1838分、マニラ国内線空港に着陸、機内預け荷物が出てくるのを待ち、迎えのバスに乗り込み、夕食場所である町なかののレストラン「ゲルニカ」に着いたのは、着陸から約50分後の1926分であった。

ゲルニカという名前、どこかで聞いたことがあると思ったら、それはピカソの有名な大作「ゲルニカ」で、ここはスペイン料理の店なので、スペインを代表する画家ピカソにあやかって、その名をつけたのであろう。レストラン内部の壁には「ゲルニカ」の複製画が飾られていた。

この絵は、1937年スペイン内戦のさなか、バスク地方の町ゲルニカが、ナチス・ドイツのから派遣されたコンドル軍団の無差別爆撃を受け、多数の死傷者を出した惨劇を描いた、ピカソの代表作のひとつとなっているもので、複製とはいえ、やはり人の目を惹きつけて止まないものがあった。

 

食事を終え、再びバスに乗り込み、15分ほど走って、2045分、懐かしの(?)マニラ・ホテルに到着。預けてあったスーツケースを受け取り、2105分、割り当てられた708号室に入室、本日の日程を終えた。

 

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