エストニア

 旅程4日目の924日朝の8時半過ぎ、3連泊したサンクト・ペテルブルグのホテルを後に、バスにて次の訪問国エストニアに向け出発しました。

 ちょうどラッシュアワーにぶつかり、アパート住宅が並ぶサンクト・ペテルブルグの町を抜けるのにかなり時間がかかりましたが、やがて木造の別荘が点在する田園地帯に出ました。
 サンクト・ペテルブルグの住民の多くは郊外に別荘を持ち、休日にはここに移動して、野菜などの栽培に励む習わしだそうです。

 途中、オッポーリェ村のカフェでの休息を挟み、走ること170km、約4時間かかってエストニアとの国境地帯に着きました。

 ここでは散々待たされたあげく、全員バスを降ろされ、手荷物のほか、スーツケースまで一人一人が持って検問所に並ばされ、パスポートチェックを受けました。
 別に荷物の中身まで調べるわけではないのに、なぜ持たされたのか、未だに不思議です。
 検問所に着いてから出発まで1時間15分も要しましたが、これでも早かったほうと言うから驚きです。

 ナルヴァ川をわたり、エストニアに入りました。
 エストニア側の入国手続きは簡単でした。パスポートを集められたほか、女性係官がバスに乗り込んできて、一人一人本人確認をしただけですみました。

 エストニア国境地帯はナルヴァという町で、まずはナルヴァ城の城壁の上のレストランで昼食後、城の周囲を観光しました。
 
説明: eesti1 左の写真はナルヴァ城で、13世紀にデンマーク人によって通商路を監視する目的で建てられたとか。
 対岸にはほぼ同時期に建てられたロシア領のイワンゴロド城が手に取るように見えました。
 白い四角の塔は「ノッポのへルマン」(デンマーク王の名前)と呼ばれているそうです。説明: eesti1-2

 城の中庭の隅にレーニン像(右写真)がひっそりと置かれていました。8年前に町の中央広場からここに移されたものだそうで、エストニア人の間では「悪いことをした子は教室の隅に立たされる」というジョークがあり、それを地でいったものである由。


 ナルヴァから平らな大地がどこまでも続く道をひたすら走ること240km、途中、ランノール村のカフェでの休息を挟み、3時間半かけて、1713分、首都タリンのホテル「オリンピア」に到着しました。

 旅程5日目は、925日です。終日タリンの市内観光の日です。

 タリンは人口約50万、12世紀にデンマーク人によって街が造られ、13世紀には街を守るための城壁が造られました。以後、ハンザ同盟の主要都市のひとつとして栄えましたが、16世紀にはスエーデンがこの地を支配し、次いで北方戦争によりスエーデンを破ったロシアが進出、1991年の独立までロシアの支配が続きました。

説明: eesti-s3 まずはバスにてピョートル大帝が造った公園で、今では市民の憩いの場になっているカドリオルグ公園に行き、散策観光後、エストニア最大級のイベント「歌の祭典」が開かれる歌の原へ向かいました。

 右写真がその野外音楽堂で、公式には16万人の聴衆を収容きるとか。

 19889月の祭典には実に30万人が集まり、革命への引き金になったそうです。
 祭典は5年ごとに一度開かれ、次回は2003年とのことです。

 次いで旧市街へと向かい、着後、バスを降りての徒歩観光となりました。

 まずは新生エストニアの象徴トーンペア城に始まり、丸屋根のロシア教会アレクサンドル・ネフスキー寺院1219年建立で、白くて巨大な大聖堂、旧市街一帯を見下ろせる展望台、タリン一強固な台所のぞけ塔(塔の上部から眺めると街の様子が隅々まで観察できる)、ドイツ商人が建立し、現在は博物館になっている聖ニコラス教会、旧市街の心臓部ラエコヤ広場と旧市庁舎、白壁と尖塔が優美な聖霊教会、富裕な商人のギルドグレート・ギルド、伝説の巨人に由来する聖オレフ教会、仲良く並ぶ中世の住居三兄弟などを見学しました。

 以上、旧市街には中世の繁栄を物語る建物が数多く残され、街全体が「生きた博物館」として、世界遺産にも登録されています。
 以下に主なものをご紹介します。 

説明: eesti3 左写真がアレクサンドル・ネフスキー寺院です。
  タマネギの形をした屋根がひときわ目立つロシア正教寺院で、ロシア皇帝アレクサンドル3世の命で1894年から6年かけて造られた由。今では少数派ロシア人の心のよりどころとなっているそうです。

 中にはいると、すぐ右手の壁に日露戦争で犠牲になったロシア艦隊を記念したプレートが掛けられていました。
  当時はたくさんのバルトの人々がこの戦争のために徴用され、日本人と戦って命を落としたそうです。  

 外壁を飾るモザイクは煌めいて美しいものですが、必ずしもタリン全体の街並とはマッチしていない感がありました。

説明: eesti5 右の写真は大聖堂です。
 1219年にデンマーク人がこの地帯を占領してすぐ建設した、エストニアでは最古の教会で、創設以来タリンにおける中心的教会の地位にある、ということです。

 何度か改修がなされた後、1684年の大火災により焼失しましたが、その後約100年の歳月をかけて現在の教会に再建されたそうです。

 拡大して見てください。建物が地面に沈んでるように見えませんか。
 これは、火災後のこの地帯には灰が1m近くも積もり、地表が高くなったところに、ここだけ古い基礎の上に建て直されたためだそうです。

 内部は薄暗く、16世紀からの古色蒼然とした墓碑銘や紋章、戦旗などが集められていて、弱いシャンデリアの灯りで見ると、まさに中世を彷彿させる雰囲気がありました。

説明: eesti-s1 左の写真は、展望台からのタリン旧市街の眺めです。
 綺麗な街並でしょう。これぞ、ザ・中世という感じですね。どうぞ拡大してじっくりとご覧下さい。
 遠くにはタリン湾まで見渡せます。
 世界遺産に登録されて当然と思います。

 ちなみに、ひときわ高く聳えている尖塔は、高さが124mあり、聖オレフ教会のものです。
 教会の名前は、伝説では、この教会の建立者であり、教会の屋根から落ちて死に、石になったという巨人、オレフに由来するそうです。

 
説明: eesti-s4 さて、街なかのレストラン「カサノヴァ」にて、ゆったりと昼食をとった後は、自由時間となるはずでしたが、全員の希望で、トーマス号に乗ろうということになりました。

 右の写真がそのトーマス号です。

 汽車の形をした乗り物で、これで旧市街の石畳の道をガタコト走り、左右の眺望を楽しみました。

 時速は10キロくらいだったでしょうか。なかなか快適でしたよ。みんな童心に返ってはしゃいでいました。


 トーマス号を降りて、しばらく街なかを散策後、カテリーナの小径というところで解散。私はそのまま歩いて15分ほどのホテルに戻りました。
 というのは、この日は気温が低く、そのうえ、前日まで比較的暖かかったため、薄着でいたところに、先ほどの乗り物で風に当たり、寒くて仕方がなかったからです。

 ホテルに戻り、少し着込んでから、再び外出、近くのタリン一大きいというスーパーマッケットとデパートを覗きましたが、やはり日本とは比べると、品数が少なく、シンプルなものでした。
 たまたま地下の食品売り場で、寿司を売っているのを見つけ、それとバナナを1本買って帰り、その日の夕食としました。

 後で聞いたところによると、この晩、添乗員のS.U君の案内で、レストランへ行ったのは1組のご夫婦だけで、他の人たちは皆、やはり何か買ってすましたようです。
 連日の重たい食事で、胃を休めたかったのでしょう。

 以上でエストニアでの観光を終了し、明日は次の訪問国ラトヴィアに行きます。

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