エピローグ

 

この度、12年前に行ったトルコ西部の旅日記をまとめようと思い立ったのは、何となく、まだ未踏のトルコ東部に行ってみたいという気持ちになったのが発端でした。

ならばその前に西トルコ編をまとめておこうと取り掛かったのが、この822日でした。

取り掛かったものの、当時のメモと写真があるだけで、これを旅日記形式に仕上げるのは容易ではなく、何とか930日の東トルコへの出発前に完成させたいとの願いも空しく、いたずらに日を重ね、とうとう11月を迎えてしまいました。

もともと、年齢的に落ちた情報処理能力でもって、1ヶ月あまりで13日間の旅日記を仕上げようとすること自体に無理がありましたし、ましてや忘却の彼方にある記憶を呼び起こすことは至難の業でありました。

 

本ツアーの参加人員は男性が11名、女性が10名で、添乗員を加えると、ちょうど半々になるという理想的な構成でしたし、旅半ばには全員が名前で呼び合うなど和気藹々となり、6日目のアスペンドス遺跡では、誰言うとなく、全員で写真を撮ろうということになったほどでした。

ちなみに私は男性では若い方から数えて3番目だったので、20代の男性二人と、自称、男性若手三羽烏と称して写真に納まったりしました。「若手」というのはちょっと、否、だいぶ無理があったようですが-----

 

以下、当時のメモから、多少とも参考になることを記しておきます。

 

                 トイレは殆どが有料でした。でも、10002000リラ程度と、日本円では1225円程度ですから、そんなに負担には感じませんでした。ホテルではさすがに無料でしたが、食事したレストランでも有料のところがあったのには驚きました。

                 現地の人へのお愛想に5円玉を持っていきましたが、穴あきコインは珍しいらしく、結構喜ばれました。

                 博物館での展示物の説明書きや、町なかでの看板などはトルコ語標記だけで、英語併記は空港を除いては、殆ど見られませんでした。これは、英語を国際語とは認めたくないというイスラム国家の強い意志によるものなのでしょうか。

                 ホテルは全体的に、特に不満はありませんでしたが、足拭きマットやシャンプーのないところが2ヵ所ありました。またバスタブの栓がないところもありましたが、こういう場合に備え、ゴルフボールを持っていったのが役に立ちました。

                 トルコ料理はまずまずで、特に和食が恋しくなるようなことはありませんでしたが、これは、私がグルメではなく、何でも食べられるからでしょうか。

                 地域や日による寒暖の差が結構あり、現地滞在11日間で、四季すべてを経験したような気がしました。

 

なお、今回あえて「西トルコ周遊」編としましたが、殆どの旅行社では、トルコというとこのポピュラーなトルコ西部を指し、マイナーなトルコ東部は東トルコと呼び、トルコ全体を周遊するときは、東西トルコ周遊と称しているようです。

本編の完成により、ようやく最新の「東トルコ」編に着手することができます。

 

以上、今回もまた極めて拙い旅日記になってしまいましたが、最後までご覧いただき、真に有難うございました。

 

平成17117

 

      野口 敏夫

 

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