1〜2日目

 

4月26日午後6時30分、妻と兄に見送られ、勇躍パン・アメリカン機で羽田を飛び立つ。

当時はまだ南回りでしか行けない時代で、かつ航続力も低く、途中、香港、バンコク、ニューデリー、テヘラン、アンカラ、イスタンブールと給油や整備のため立ち寄りながら、一路ローマへと向かった。

東京とローマでは時差が8時間もあり、ために翌27日は、それまでの私の半生において最も長い一日となった。

生憎イスタンブールでパン・アメリカン機が油圧故障を起こしたため、相当時間待たされた末、イラン航空の便に乗り換え、ローマに着いたのは16時30分であった。

実に羽田からローマまで30時間を要したわけだ。現在の高速ジェット時代では考えもつかない時間である。

 

飛行機を降りた途端、まだ春の、しかも夕方だというのに、ギラギラとした太陽の眩しさにまず驚かされる。

ダ・ヴィンチ空港からローマ市内まで両側に美しい緑を見ながら、よく整備された道をタクシーは快適に飛ばしたが、市内に入ると、やはりその混雑ぶりは東京とさして変わらない。おまけに主要道路以外は殆ど一方通行になっていた。

予約してあるホテルは市の北側のはずれにあったため、ちょうど市内を縦断する形になり、それだけ時間がかかったが、古代ローマの遺跡が至る所で目に付き、退屈を感じるどころではなかった。

 

ホテルにチェックインした後、長時間の飛行機の旅で疲れてはいたが、一刻も時間が惜しかったので、まずは映画「ローマの休日」で名高いトレビの泉へとタクシーを飛ばす。

 

想像していたよりも狭い場所にトレビの泉はあった。周りには各国からのおのぼりさんと思しき人々が群がっていて、すごくカラフルな感じであった。

 

肩越しにコインを投げ込むと再びローマに帰ってこられるとか。これを聞いたら投げ込まない人はいないだろう。私自身も、他愛なく、またご縁があるようにと、五円玉を1枚--------

 

 

ホーム

プロローグへ

次ページ

失敗談1

失敗談2