7日目

(4/11)

 

マニラ → 成田

 

645分起床。今日は最終日。ホテル出発が遅いので、7時にアラームをセツトしておいたはずが、なぜか、6時に鳴ってしまった。

720分、朝食に降りる。さすが皆さん、今朝は寝坊しているとみえ、ツアーメンバーの人は誰もいなかった。もっとも、もう食べ終わった人もいたかもしれないが----

 

適当なテーブルに座を占め、飲み物のサーブを待っていると、背が高くプロポーション抜群のウエイトレスがコーヒーか紅茶かと聞きにきたので、あなたの写真を撮らせてほしいと頼み込む。

自分としてはウエイトレス一人を写すつもりだったが、彼女は一瞬戸惑った後、逆に一緒に撮りましょうと言われ、彼女から他のウエイターに頼んで撮ってもらったのが、恥ずかしながら右の写真である。

 

930分、ホテルを出発。本日の予定は帰国前のマニラ市内半日観光である。

 

まずはホテル近くにある、フィリッピン国内最大の公園、リサール公園へ。

ここは、その名が示すとおり、フィリッピンの国民的英雄ホセ・リサールを記念して造られた公園で、正面の入口から入るとすぐのところに、リサールの記念碑が建っている。

この公園には、日本庭園、中国庭園、ローラースケート・リンク、グランド・スタジアムなどの施設があるとか。しかし、時間の関係で、いずれも見られなかった。

 

次の観光スポットはリサール公園から北西に車で5分ほど行ったところにあるサンチャゴ要塞跡。

この要塞は、マニラ湾近くのパッシグ川上流のほとりに位置していることから、かつてスペイン人により建設されたイントラムロスという城塞都市の中で、戦略上最も重要な場所としての役割を担っていたとか。

またここは、太平洋戦争中、日本の占領時には多くのフィリッピン人が命を失った場所だとも言われる。彼らは水面下の地下牢(左写真)に閉じ込められ、満潮時に水死させられたというから、痛ましい話である。

また、戦後に大統領になったマルコスが、日本軍により一時収容されていた建物も残っている。彼はここから脱出したとのことだが、脱出していなかったら、やはり水牢死させられたかもしれない。

 

その他、要塞内には、ホセ・リサールが処刑前まで暮らしていた建物がある。

今ではリサール記念館として公開され、使っていた机や服、当時描かれた絵画などが展示されている。

そして驚いたのは、彼がここから処刑場に向かった足跡が点々と敷地内に保存されていること。

 

さて、マニラ最後の観光スポットは、サンチャゴ要塞跡とリサール公園のちょうど中間に位置するサン・オーガスティン教会。

15991606年にかけて建設されたフィリッピン最古の石造教会とか。かつて旧城塞都市内にはロマネスク風建築物が沢山あったということであるが、太平洋戦争末期にその殆どが破壊され、12あった教会のうち、残存するのはこの教会のみだそうである。

礼拝堂の天井や壁の絵には不思議な立体感があると聞いていたので、見るのを楽しみにしていたが、教会関係者は今日一日、遠足に出ているため、クローズド。実に残念であった。

それにしても暑かった。午前中にして気温は33℃もあったほどである。

 

以上で、本ツアーの観光スケジュールはすべて終了となり、帰国便の時間(14.20)の関係から、少し早めの昼食を「sakura」という焼肉店でとる。

焼肉だから韓国料理かと思ったら、天ぷらも出たので、和韓折衷料理といったところ。結構美味であったが、暑さで胃が参っていたためか、あまり食欲は進まなかった。

 

1217分、空港着。

さすが、バンコクと並んで、東南アジアを中継する国際空港だけあって、その混雑ぶりは相当なもの。

この旅行中ずつと世話になったスルーガイドのSさんと別れ、添乗員のYさんが搭乗手続きをしている間、椅子のあるところへ行って待つ。

これまで乗り物は遅れることが多かったので、心配になり、我々のJL742便の出発時間に変更はないか、ボードで確かめたところ、幸い Delay の表示はないので一安心。

1305分、搭乗券を受け取る。座席番号はH28.有難い、今回も通路側なり。

出国審査の列に並ぶも、他の窓口はスイスイ進むのに、自分の列だけは嫌にもたついていて、イライラさせられる。

1325分、やっと通過。時間があまりなかったが、ともかく余ったペソを使ってしまうため、DFSの店に入って、セールスガールに使い切りたい金額を言い、電卓でドルに換算してもらって、ちょうど見合う額のチョコレートを買った。

ふと見ると、添乗員のYさんも買物していたので、パチリ! これが、今回の旅行の最後の写真となった。

型どおり厳しい手荷物検査を経て、No11ゲートへ向かう。ツアーメンバーのN夫妻が、手荷物の中の小鋏を咎められ、没収されていたのはお気の毒。

 

1403分に搭乗。1438分に離陸。

途中、飲み物と食事、各1回のサーブを経て、1921(フィリッピン時間1821)、無事成田空港に着陸。天候は雨、気温は7℃と低かった。

入国審査後、Luggage Circuit にてトランクを受け取り、税関を経て、QLライナーに託送を依頼し、京成、東武を乗り継いで、帰宅したのは、2210分であった。

 

続いてエピローグをご覧ください)

 

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ホセ・リサール