11日目(2)

(4月18日)

 

イスタンブール

 

昼食を終え、自由行動となったが、希望者には新市街にある軍事博物館までバスで送ってくれるというので、とりあえず、それに便乗することに決める。

しかし、旧市街からガラタ橋を渡って新市街に入り、軍事博物館に着いたまではよかったが、お目当ての軍楽隊による演奏が本日は中止と判明したため、やむなくそのまま引き返し、私を含む有志のみ数人はガラタ塔付近で降ろしてもらい、以後、ガラタ塔、ペラ・パラス、シルケン駅などを徒歩で見てまわった。

 

ガラタ塔

ガラタ塔は、新市街のジュノバ居住区を囲んでいた外壁に建てられた67mの円筒形の塔で、1415世紀には物見に使用されていたとのこと。その後は牢獄や天文台として使われたらしいが、今では新市街のランドマークになっている由。

入場料1000リラ(12)を払って9階のバルコニーまで登る。8階まではエレベーターもあったが、昔の人の苦労を体験しようと敢えて使わず、203段もある螺旋階段を喘ぎつつも徒歩で登った。

地上53mのバルコニーからはイスタンブールの街が360度展望でき、塔そのものが丘の上に建っているので、実際の高さ以上に眺めが良い。

なお、最上階は夜はベリーダンスの楽しめるナイトクラブになるとのこと。

 

ペラ・パラス

ガラタ塔を後に向かったところはホテル「ペラ・パラス」。

パリ〜コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)間にオリエント急行が開通したのは1883年のこと。この列車で神秘に満ちたオリエントを探訪しようというヨーロッパの王侯貴族・上流社会の人々のために、1892年にオープンしたのがこのペラ・パラスである。

館内には眩さの中にも重厚さが漂い、木製ボックスのエレベーターなど、空間が歴史の重荷を感じさせてくれる。

開業以来1世紀、この間、各国の著名人が多く訪れているが、中でも、アガサ・クリスティが411号室を定宿とし、「オリエント急行殺人事件」を執筆したホテルとして有名であり、今でもその部屋は当時のまま保存されているというので、見せてもらいたいとフロントの青年に頼むと快く承諾し、案内してくれた。

部屋の中は取り立てて特徴のあるものではなかったが、著名なアガサ・クリスティが実際にここで執筆していたのかと思うと、感慨深いものがあった。

 

さて、ペラ・パラスを出た時、時間も既に16時半を回っていたので、新市街と旧市街を結ぶ橋の一つ、アタチュルク橋を通って帰路につくこととし、その橋と、もう一つのガラタ橋の袂、更にはオリエント急行の終着駅、シルケジ駅でそれぞれ記念の写真に納まったりした後、駅前のチャイ・エヴ(喫茶店)で疲れを癒し、最後は道に迷いつつ、ホテルに帰着したときは17時近くになっていた。

下の写真で、それぞれの橋の袂から後方に見える塔が、先ほどのガラタ塔である。

なお、中央写真のガラタ橋は、1年前までは、1912年完成の古い浮橋がかかっていて、橋の下層には魚料理の店がずらりと並び、独特の風情をつくりあげていたということであるが、今は廃橋となっていて、その西側に造られたのがこの新ガラタ橋である。いまや車がひっきりなしに行き来する近代的な橋と化し、面白みがなくなっていたのは残念であった。

 

部屋に戻って、一風呂浴びた後、20時過ぎ、ホテルの隣りにあるショーレストラン「オリエント・ハウス」ヘ。

ここでは、丸い舞台を囲むように客席が広がっており、そこには、スペイン、フランス、ドイツ、イスラエル、サウジアラビア、カナダ、イタリア、アメリカ、オーストラリアなどからの大勢の観光客ガ国別に座を占めていた。ここは、よほど有名な店であるらしい。

夕食の後、ショーは21時から始まった。

ベリー・ダンスを見るのはこれが初めてであり、それなりに興味を惹いたが、それより驚いたことには、一通りプロのダンサーによる実演の後、司会者の音頭で、各国の観光客の中から、出場者を募り、図らずも国際ベリーダンス競技会(?)になつたのは、面白い演出であった。

わが日本からも、偶々日本人は我々のグループだけだったので、若手のNさんとSさんの二人が引っ張り出され、そのうち一人は決勝まで残るという快挙をもたらし、やんやの喝采を受けていた。

 

かくのごとく、トルコ最後の晩餐を大いに楽しんだ後、23.50分、ホテルに戻り、イスタンブールでの最後の長い一日を終えた。

 

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