11日目(1)

(4月18日)

 

イスタンブール

 

今日は終日イスタンブールの観光である。

 

イスタンブールは長さ約30kmのボスポラス海峡を挟んで、アジアとヨーロッパ両大陸にまたがるトルコ最大の都市として知られるところ。海峡の幅は最小で700mである。したがって、ここにまたがるボスポラス大橋とファーティフ・メフメット大橋が文字通り「ヨーロッパとアジアの架け橋といえよう。

 

 

更に、金角湾を挟み、北東側が新市街、南西側が旧市街で、その間をガラタ橋とアタテュルク橋で結ばれている。

左写真では手前が新市街側で、中央の水路が金角湾、更にその向こうにマルマラ海が見える。

旧市街は城壁で囲まれ、かつての東ローマ帝国の首都の面影を強く残している。

 

 

9時05分、専用バスにて出発、まずは午前中は観光スポットの多い旧市街を、ローマ競馬場跡を皮切りに、スルタナーメット・ジャミィ、アヤソフィア大聖堂、トプカプ宮殿の順に観光した。

 

ローマ大競技場跡

これから行く予定のブルーモスク西側に隣接する広場で、かつてはここに縦500m、横117mのU字形競技場があり、映画「ベン・ハー」などでお馴染みの戦車競技が行われていた由。

現在では「アトゥ・メイダヌ(馬の広場)」と呼ばれており、祝祭日には催し物が行われているとか。

3本のオベリスクが立っているが、これらははるかエジプトのカルナツク神殿からローマ皇帝により運ばれたものを初め、いずれも由緒あるものらしい。

 

スルタナーメット・ジャミィ(ブルー・モスク)

ジャミィとは、イスラム寺院のモスクの意味で、内部の壁や柱が青を基調にした美しいタイルで飾られていることからブルー・モスクの別称で親しまれている。

1616年、スルタン・アフメットT世により建造された、6本のミナレットをもつ巨大なモスクで、その威容はオスマン建築の傑作といわれているが、高さ43m、直径27.5mのドームには、ビザンティンの建築技術が受け継がれている由。

靴を脱いで中に入る。

内部は、ドームの200を超す小窓から差し込む光で、タイルとステンドグラスが微妙に変化し、幻想的で美しかった。

(なお、この2枚の写真はクリックすれば拡大できます)

 

アヤソフィア大聖堂

ここは、もともとはビザンティン・ユスティアヌス帝の537年に6年近い歳月をかけて完成した聖堂で、ギリシア正教の本山であった。建造には領内各地の古代神殿や建築物の石材が使われ、ビザンティン建築の最高傑作といわれている。

1452年、オスマン朝のメフメットU世によりローマ帝国が崩壊すると、直ちに燦然と輝いていた壁面のモザイクが漆喰などで塗りこめられるなど改装され、以後、500年近くの長きにわたって、イスラム教のモスクとして使用されてきたとか。

トルコ共和国が誕生後、アタチュルクはここを博物館として開放し、漆喰が剥がされ、モザイクは再び日の目を見ることになり、現在に至っている由。

まさにイスラムとビザンティンの文化が混在する不思議な風情であった。

 

トプカプ宮殿

午前中最後の観光場所はアヤソフィア大聖堂の北隣に建つトプカプ宮殿であった。

三方を海に囲まれた丘の端、東西交易の接点であるボスポラス海峡を睨むように建つこの宮殿は、オスマン朝の支配者の居城として400年もの間、政治や文化の中心であった由。

 

宝物館には膨大な財宝が一堂に集められており、3大陸を制したスルタンの栄華を今に伝えている。

左の写真は、3つの大きなエメラルドと時計がついたトプカプの短剣で、エメラルドはイスラム世界で最も貴重な宝石とされているとのこと。

また右写真は、世界最大のダイヤで、86カラットのダイヤを49個のダイヤで取り囲み、ティアドロップ型に仕上げた宝石で、その眩さはまさに息を呑むほどであった。

 

一方、そのほかの建物の内部は、スルタン、夫人、スルタンの母、王子、宦官、女奴隷などの大小の部屋、更に中庭、小庭園と、細かく分かれ、これらをつなぐ通路が複雑に入り組んで、まるで迷路のようであった。

下の写真で、左がハレムの外部、右がその内部にあるアフメットV世の部屋である。

壁面のタイルの装飾は華麗であるが、ハレムの与える印象は暗く、女たちの居室の小窓には鉄格子がはめられ、まるで牢獄をすら思わせるものがあった。

一方、陶磁器室には、中国の宋、元、明のものが中心で、清に変わった混乱期以後は日本の有田焼が多く飾られており、陶磁器には見る目を持たない私でも興味を惹かされた。

 

以上で、午前中の観光を終え、クムカプ地区のレストラン「FIRAT」で遅い昼食をとった後、夕食時まで自由時間となった。

(続いて次ページをご覧ください)

 

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