9日目

(4月16日)

 

チャナッカレ → ブルサ

 

8時30分、ホテルを出発、マルマラ海沿岸の道を2回の休憩を挟んで、西に向かうこと3時間半、オスマン・トルコ朝草創期の首都であったブルサに到着、直ちにレストランに入り、遅い昼食となる。

ブルサは、ウルダー山の裾野に広がる町で、ローマ時代から温泉の湧く保養地として開け、オスマン朝時代には、商業の町、絹の町として発展してきた由。また、緑豊かなこの町は、アナトリアの乾いた風土の中にあって、貴重な存在となっており、トルコの人々からは、深い思いを込めてイェシル・ブルサ(緑のブルサ)と呼ばれている由。

山腹に広がる住宅の赤い屋根が木々の緑によくマッチし、美しい景観を呈している。

 

イェシル・ジャミィ

昼食後、ブルサの観光はまずイェシル・ジャミイから始まる。ここにもイェシルの名称が使われており、ジャミィと合わせて、文字通りグリーン・モスクの意で、ブルサを代表する寺院である。

靴を脱ぎ、中に入る。内部の装飾に使われている青みがかったタイルの美しさは目を見張るほどであった。内部は写真撮影が許可されていなかつたので、その美しさをご紹介できないのが実に残念である。

二人の老女が一心に祈りを捧げている姿が印象的であった。

なお、この建物は、1424年の建立で、初期オスマン・トルコ朝の寺院建築の傑作といわれているとか。

 

イェシル・テュルベ

次に訪れたところは、通りを隔てた向かい側にあるイェシル・テュルベ。八角形をしたメフメット1世の廟である。

先ほどのイェシル・ジャミイが、内部を青緑色で美しく飾っているのに対し、こちらは外壁がターコイズブルーに輝くタイルで覆われ、周囲の木々の緑と相まって、外観そのものが美しい廟である。

た、館内には、ブルーのタイルに金色のカリグラフィーを施した豪華なメフメット1世と家族の棺があり、目を惹かれたが、惜しむらくは、館内があまりに暗すぎることだった。

 

 

 

ウル・ジャミィ

次いで観光したところは、ブルザの中心部にある20個もの円天井をもつセルジュク様式のモスク、ウル・ジャミィ。ウルは大きいという意味で、ここは大衆のための祈りの場所である。

着工から1424年の完成まで40年もの年月がかかり、その間に3人の時の権力者が建設にかかわったという。

内部には、清めの泉亭や細工の美しいクルミ製の説教段のなどがあり、崇高なムードが漂っていた。

 

このあと、ウル・ジャミィのすぐ隣りにあるバザールに入り、30分ほど自由行動になったので、とあるチャイハネ(喫茶店)に数人で入り、しばし憩いの時を楽しんだ後、ホテルに向かい、1615分、市内の「キャラバンサライ・ブルザ・ホテル」に到着する。

時間的に早かったので、散策に出ようかと思ったが、連日の疲れが溜まっているので、外出はやめ、入浴することにした。

お陰で、夕食時のビールのうまかったこと!

 

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