2日目(午後

(7/3)

 

ヒワ

 

ウズベキスタンに来て初めての昼食、

長テーブルに全員が対面式に座り、メニューは前菜のナン、サラダが3種、ヨーグルトに続いて、ピーマンの肉詰めスープが出、そしてメインは郷土料理のピラフで、少し固めのライスの上に牛肉をほぐしたものが載っていた。味のほうはまずまずであったように思う。

また、このときに限らず、食事時には必ずミネラル・ウォーターのサーブがあったことは、この酷暑の中での大いなる救いであった。

 

昼食後は日差しが強いので、しばらく各自の部屋で休憩を取った後、1510分、午後の観光に出発する。

まず最初に訪れたところはパフラヴァーン・ムハマド廟

パフラヴァーンとは、ペルシア語で英雄あるいは力士を意味し、パフラヴァーン・ムハマドはその名の通り屈強な力士であると同時に毛皮職人であり、かつ詩人でもあった(13241375)由。

ムハマドの死後、その文武両道の英雄としての記憶が人々の間に生き続け、次第にヒワを守護する聖者とみなされるようになったという。更にその棺(下写真左)についても子宝を授ける力があるなど様々な霊験が伝えられ、今なお多くの巡礼者を集めているとか。

廟内には、見事な装飾を施した、メフラブと呼ばれる窪み(祭壇)(下写真中央)があったが、ここに限らず、これは必ずメッカの方向を向いているとのこと。

なお、男性(下写真右)が一人座っておられたが、この方は祈祷師で、お参りに来た人が希望すれば、その人に代わってイスラムの作法で祈りを捧げてくれるそうである。

 

次にイスラム・ホッジャのメドレセへ行く。

青と緑に飾られた高さ45mのミナレットは、青空に突き抜けるように建ち、圧巻そのもの、ヒワで一番高いとのこと。

このメドレセは、ヒワ最後のハーンの下で宰相を務めたイスラム・ホッジャによって1910年に建てられた神学校で、ヒワではもつとも新しいものとか。ホッジャは、当時ロシアの保護下にあったヒワで、イスラム教に拠らない世俗的な学校制度の導入や西洋式病院の建設など、当時としては急進的な改革を行ったため、保守系の人々に暗殺されてしまった由。

内部は博物館になっており、ホレズム時代の絨毯、洋服などが展示されていたが、異常な暑さに参ってしまい、うつろな目で見学したのみ。

 

ここで一旦解散後、希望者はミナレットに登ることになったが、私は、睡眠不足の上、この暑さですっかり参ってしまい、とても118段の階段を登る気になれず、パスし、早々にホテルへ引き上げた次第。

 

1710分、今度はツアーバスにてイチャンカラを出て、内壁と外壁の間(ディシャン・カラ)にあるヌルラバイ宮殿へと向かう。

この宮殿は20世紀初めに建てられたもので、そのため、建物そのものを初め、窓、ペチカ、シャンデリアなどの装飾に、ロシア様式とイスラム様式が合わさった形状が見受けられ、興味深いものがあった。

下写真は、左1点が宮殿の外観で、右2点がその内部である。

 

次に向かったのは、夕食場所であるドザボーグ・パレス(夏の宮殿)

この宮殿はムハンマド・ラヒムハーン2世により建てられたそうで、前庭が広く、どっしりとした構えの建物であった。中に入ると入口ロビーを挟んで左右にややシンプルな男の部屋とやや豪奢な感じの女の部屋があったが、今回の夕食は女の部屋でとることとなった。

メニューは、前菜としてサラダが3種、そしてメインはキーマというウズベキスタンとロシアの折衷料理で、牛肉ハンバーグ風。そのほかフライドポテト、バターライスのほか、ブリンという小麦粉、砂糖、卵を練って焼いたものが1枚の皿で出てきた。

 

9時54分、ホテル帰着。

その後、希望者のみ、中庭で行われたヒワの民族舞踊を見たが、これは、太鼓や笛、カイロクと呼ばれる石器時代から伝わるカスタネットのような楽器による音楽に合わせて、女性二人と道化役の男性が踊るもので、舞台が地面というせいもあるが、盛り上がりに欠け、満足度はいまいちであった。

 

このあと部屋に戻り、シャワーを浴びた後、蚊取り線香をつけてベッドに入ったが、暑くて寝苦しかったこと!

(本日の歩数 11,004)

 

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