4日目(午後)

(7/5)

 

ブハラ

 

1327分、レストラン「ラビ・ハウズ」に到着。ラビ・ハウズとはタジク語で、池の周りという意味で、17世紀に造られたハウズ()を中心とした広場のことを指すらしいが、ここでは地名をそのまま店名にしてしまっているらしい。

昼食は、戸外の池のほとりの桑の木陰で涼をとりながら、45人ずつのテーブルに分かれて始まった。

メニューは、前菜、スープに続き、鶏の串焼きが出た。その串の長さに驚いた。(下写真左) 暑さにやられたため、食欲はなかったが、割と芳しく美味しかったので、半分ほど食べただろうか。

隣のテーブルでは地元のおばさんらが楽しそうに談笑していたので、お願いして写真を撮らせてもらう。(下中央)いずこも同じ、有閑マダムの食事会といったところであろうか。

一方、池の向こう側では、ひときわ高い桑の木のてっぺんから、子供たちが盛んにダイビングを繰り返していた。(下右) (どうぞ拡大して見てください。ちょうどダイビング中のところが撮れています。)

 

昼食後、30分ほど木陰で休憩をとり、徒歩にて後半の観光を開始する。

ともかく異常に暑い。一人の男性が体調を崩し、バスで送られ、ホテルに戻ってしまったほど。

 

観光はラビ・ハウズの隣にある、17世紀の初めブハラ・ハーン国の宰相(ディワンベキ) であった ナーディルにより建てられたというナーディル・ディワンベキのハーンカー(イスラム教の修道場)を皮切りに、入口に不死鳥と人間の顔をした太陽のモザイクがあるナーディル・ディワンベキのメドレセ(左写真)、地下に6世紀のゾロアスター教の神殿跡(右写真)が残る、現存するモスクではブハラ最古(12世紀)マコギ・アッタリ・モスク16世紀の建築で交差点を丸屋根で覆い、かつては駱駝も出入りしたといわれるバザール・タキなどを見てまわったが、酷暑の中を歩くのは、心身ともにハードで、ガイドの説明もうわの空、うつろな目でただ眺めたに過ぎなかった。

 

そして、ついに私にもその時がやってきた。胃がムカつき始めたのだ。暑さで胃が弱っているときに、先ほど食べた鶏の油が悪さしたようだった。

他の人もこの暑さにはみな辟易していたので、バスに迎えにきてもらうことにし、その間しばし、とあるチャイハナ(喫茶店)で休憩することになり、ここで、やや息を吹き返した感があった。

 

1633分、バスにて次の観光スポットに向かう。

 

着いた所は、ラビ・ハウズから東へ800mほどの住宅街にあるチャール・ミナール

タジク語で、4本のミナレットという意味のこの建物は、一見それ自体がモスクを思わせるが、実はこれはモスクでもミナレットでもなく、1807年に裕福なトルクメン商人が建てた巨大なメドレセの門に過ぎないとか。メドレセそのものは今は何も残っていない由。それにしても美しいフォルムであった。

 

さて、ブハラ最後の観光スポットは、ファズヤ・ユダエフ商人館

ここは、1890年に富裕な貿易商が建てた館で、ここで内部見学とともに、お茶を振舞われるとのことであったが、私はとても気分が悪くなっていたので、一人バスに残り、横になって待つことにした。

最初は冷房が効いて涼しかったが、ドライバーが燃料不足に気づいたらしく、途中で止められてしまったのには参った。

待つこと久し、1時間20分。何か手違いがあって、向こうの準備ができておらず、遅くなった由。

せいぜい45分程度と思っていたのに、実についていなかった。

 

1845分、ようやくホテルに帰着。自分にとって長く辛い一日であった。

そしてこの夜は、再びナーディル・ディワンベキのメドレセまで行き、そこで民族舞踊を見ながら夕食をとることになっていたが、もちろん自分はパスを余儀なくされ、部屋に残って、嘔吐や下痢と戦う羽目になった。

(本日の歩数 13,497)

 

ホーム

プロローグへ

前ページ

次ページ